【隠居のたわごと】
風の変わり目?
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
善公 ご隠居,いい陽気になったのに,その浮かぬ顔は……。
隠居 しばらく前に行われた東京都知事選のことが,どうも気になるのです。
善公 舛添知事に何かご不満でも……?
隠居 いや,そうではありません。知事選後の朝日新聞のある分析記事が気になっているのです。日本にいやな風が吹きはじめたのが心配です
善公 知事選での田母神俊雄氏の発言,NHKの新会長籾井勝人氏の発言,NHK経営委員の長谷川三千子氏と百田尚樹氏の発言。問題発言の顔見せ興行ですね。あっしのようにあまり新聞を読まない人間でも知っていますよ。
隠居 どのような考えをもとうと信条の自由は保証されています。しかし,田母神氏の「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」, 従軍慰安婦を巡る問題についての,籾井氏の「この問題はどこの国にもあった」, 新右翼の活動家の死についての, 長谷川氏の「神にその死をささげたのである」「彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であった」、 百田氏の「東京裁判は大虐殺をごまかすための裁判だった」(以上,「朝日新聞」2014.1.26・2014.2.13)などの発言には首を傾げざるを得ない。何よりもこれらのひとたちには公人として慎みの自覚がありません。
善公 あっしらと違って,みなさん学問がおありになるのに,なぜですかね。
隠居 長谷川氏の発言の中には「わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである」という言葉もあったことがわかっています(「長谷川氏の追悼文要旨」・「朝日新聞」2014.2.6)。「(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)」となると,多くの無辜のひとびとの犠牲という代償を払って手に入れた, 戦後日本の新秩序の全否定ではありませんか。これらの発言は,安倍首相の靖国参拝強行,中・韓両国との領土問題に対する強硬姿勢と,たぶん根をひとつにするものです。朝日新聞の別の記事(2014.1.28/2面)では,「保守主義者を自認する首相は靖国参拝を,外交や内政への影響を超える「信念」の問題と位置づけた」といっています。おそらく先にあげたひとびとの発言も「信念」の問題なのでしょう。それだけにこれは厄介な問題を孕んでいます。じっさい東京都知事選でそれが顕在化しました。
善公 それはどういうことです?
隠居 たとえば,2月11日の朝日新聞に,「田母神氏60万票の意味」という記事があります。組織票がないなかでの60万票もさることながら,20代の投票が24%で2位というのは驚きです。支援者の多くは「愛国的なネットユーザーたち」だそうですが,地方自治体の首長選挙でのこの数字はおどろきです。しかもじっさいの街頭演説も盛り上がり,田母神氏の「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」「靖国神社に参拝して誇りある歴史を取り戻す」という主張に大きな拍手がわき,若い聴衆からは「歴史の真実はわからないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる」「平和を守る気持ちを維持するため、靖国神社には参拝すべきだ」「ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた」という声が出たといいます。
善公 どなたかの「強い日本」発言,靖国神社の強行参拝の反映ですかね。
隠居 「歴史の真実はわからないが」とか「気持ちを維持する」とか「強さを感じた」とか。これらの言葉にどんな意味があるのだろうか。「歴史の真実」を差し措いて,しかも他者の主張を拠りどころにしての「誇り」とはなんだろう。「平和を守る気持ちを維持する」ことと「靖国神社」はどう結びつくのだろう。「強さを感じた」というが,強さが指向するものを検証せずにその姿勢だけに共感するのは危険じゃないか――心配の種は,そうした声の多くが,〈情緒的なもの〉に流されているようにおもえるのです。
善公 いつの時代でも若者は〈気分〉で動きますからね。
隠居 そうです。あたしの心配はその〈気分〉にあります。その〈気分〉は「歴史認識」と「想像力」の欠如が齎すものです。 「日本とアメリカは戦争したの?」と言った若者がいると聞いたことがあります。 「戦争ごっこ」に興じている若者をテレビで観たこともあります。田母神氏に共感した聴衆は,そうした土壌から生まれたのではないか。それがあたしの「いやな風が吹きはじめた」という感想となったのです。でも若者だけを責めるわけにはいきません。なぜならその土壌をつくったのは,かつての「若者」 ― つまり若者たちの親の世代です。日本人はいつのまにか経済大国日本,自分たちの豊かな生活を追うことにかまけて,敗戦を通して得た大切なものを見失ってしまっていたのです。たとえば歴史認識についていえば,「私たちは被害者であると同時に加害者の末裔でもあるのだ」(森達也「我々は加害者の末裔である」/朝日新聞「明日を探る」/2014.1.30)ということを忘れてしまったのです。
風の変わり目?
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
善公 ご隠居,いい陽気になったのに,その浮かぬ顔は……。
隠居 しばらく前に行われた東京都知事選のことが,どうも気になるのです。
善公 舛添知事に何かご不満でも……?
隠居 いや,そうではありません。知事選後の朝日新聞のある分析記事が気になっているのです。日本にいやな風が吹きはじめたのが心配です
善公 知事選での田母神俊雄氏の発言,NHKの新会長籾井勝人氏の発言,NHK経営委員の長谷川三千子氏と百田尚樹氏の発言。問題発言の顔見せ興行ですね。あっしのようにあまり新聞を読まない人間でも知っていますよ。
隠居 どのような考えをもとうと信条の自由は保証されています。しかし,田母神氏の「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」, 従軍慰安婦を巡る問題についての,籾井氏の「この問題はどこの国にもあった」, 新右翼の活動家の死についての, 長谷川氏の「神にその死をささげたのである」「彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であった」、 百田氏の「東京裁判は大虐殺をごまかすための裁判だった」(以上,「朝日新聞」2014.1.26・2014.2.13)などの発言には首を傾げざるを得ない。何よりもこれらのひとたちには公人として慎みの自覚がありません。
善公 あっしらと違って,みなさん学問がおありになるのに,なぜですかね。
隠居 長谷川氏の発言の中には「わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである」という言葉もあったことがわかっています(「長谷川氏の追悼文要旨」・「朝日新聞」2014.2.6)。「(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)」となると,多くの無辜のひとびとの犠牲という代償を払って手に入れた, 戦後日本の新秩序の全否定ではありませんか。これらの発言は,安倍首相の靖国参拝強行,中・韓両国との領土問題に対する強硬姿勢と,たぶん根をひとつにするものです。朝日新聞の別の記事(2014.1.28/2面)では,「保守主義者を自認する首相は靖国参拝を,外交や内政への影響を超える「信念」の問題と位置づけた」といっています。おそらく先にあげたひとびとの発言も「信念」の問題なのでしょう。それだけにこれは厄介な問題を孕んでいます。じっさい東京都知事選でそれが顕在化しました。
善公 それはどういうことです?
隠居 たとえば,2月11日の朝日新聞に,「田母神氏60万票の意味」という記事があります。組織票がないなかでの60万票もさることながら,20代の投票が24%で2位というのは驚きです。支援者の多くは「愛国的なネットユーザーたち」だそうですが,地方自治体の首長選挙でのこの数字はおどろきです。しかもじっさいの街頭演説も盛り上がり,田母神氏の「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」「靖国神社に参拝して誇りある歴史を取り戻す」という主張に大きな拍手がわき,若い聴衆からは「歴史の真実はわからないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる」「平和を守る気持ちを維持するため、靖国神社には参拝すべきだ」「ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた」という声が出たといいます。
善公 どなたかの「強い日本」発言,靖国神社の強行参拝の反映ですかね。
隠居 「歴史の真実はわからないが」とか「気持ちを維持する」とか「強さを感じた」とか。これらの言葉にどんな意味があるのだろうか。「歴史の真実」を差し措いて,しかも他者の主張を拠りどころにしての「誇り」とはなんだろう。「平和を守る気持ちを維持する」ことと「靖国神社」はどう結びつくのだろう。「強さを感じた」というが,強さが指向するものを検証せずにその姿勢だけに共感するのは危険じゃないか――心配の種は,そうした声の多くが,〈情緒的なもの〉に流されているようにおもえるのです。
善公 いつの時代でも若者は〈気分〉で動きますからね。
隠居 そうです。あたしの心配はその〈気分〉にあります。その〈気分〉は「歴史認識」と「想像力」の欠如が齎すものです。 「日本とアメリカは戦争したの?」と言った若者がいると聞いたことがあります。 「戦争ごっこ」に興じている若者をテレビで観たこともあります。田母神氏に共感した聴衆は,そうした土壌から生まれたのではないか。それがあたしの「いやな風が吹きはじめた」という感想となったのです。でも若者だけを責めるわけにはいきません。なぜならその土壌をつくったのは,かつての「若者」 ― つまり若者たちの親の世代です。日本人はいつのまにか経済大国日本,自分たちの豊かな生活を追うことにかまけて,敗戦を通して得た大切なものを見失ってしまっていたのです。たとえば歴史認識についていえば,「私たちは被害者であると同時に加害者の末裔でもあるのだ」(森達也「我々は加害者の末裔である」/朝日新聞「明日を探る」/2014.1.30)ということを忘れてしまったのです。
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