〔後生に告ぐ!〕
「少しのお金」と「真の友」
松井 洋治(東京都府中市)
去る3月17日,消費者庁は,2013年に発生した悪徳商法や誇大広告による「消費者被害」が6兆円に達したことを公表した。GDP(国民総生産)の1.2%に相当する額で,国民13人に1人が被害に遭い,被害額は平均で60万円だという。
高齢者の老後の貯えをだまし取ってしまう“振り込め詐欺”が「ビジネス化」してしまうなど「カネさえ手に入れば,何をしてもいい」という哀しい風潮は,いつまで続くのであろうか? しかし,そう嘆く前に,最近は,こんな日本になって(して?)しまったのは,私を含む70歳以上の人間の責任かもしれないと,しきりに思い始めている。若い人たちを責める資格が,自分たち高齢者に,本当にあるのだろうかと。
経済力のあることが,人間(特に男)の甲斐性となってしまった社会では,私のように経済力の無い人間は,口では,「カネの貧乏はしても,人貧乏(ひとびんぼう)だけはしないから」と分かったような言い訳をしながら,やはり何となく肩身の狭い思いで生きてきた。「優しさと甲斐性のなさが、裏と表についている」という演歌「雪椿」(唄・小林幸子)の歌詞を,自分のことかと思いながら聞いたものだ。
しかし,今は亡き両親の人生を思えば,子供に残せる財産は「教育しかない」と,海外旅行どころか国内の温泉旅行すらもせずに,カネは残してくれなかった(残せなかった)ものの,ひたすら,5人の子供に「教育」を残す努力だけはしてくれた。
そんな親に育てられた我々世代の多くが,また,第二次大戦後の教育が,「経済力のあることが,人間の甲斐性だ」という社会を作り上げて来たのかもしれないのだ。
「こころざしを果たして、いつの日にか、帰らん」と歌った文部省唱歌「ふるさと」の歌詞も,今や,志を果たして故郷に錦(にしき)を飾る「善男善女」より,カネで飾って帰ってくる「銭男銭女」を,地元自治体は歓迎しているのかもしれない。
昔から,詐欺師,ペテン師はいたに違いないが,年間被害額が6兆円に達するほどまでに「悪事を働いてのカネ儲け」が蔓延してしまった現実から,国民全体が目を背けずに,これから先の日本のあるべき姿を,真剣に考えなければならないはず。
“金(カネ)は弾丸より怖い。魂をぶち抜くから。”
“幼い魂たちにそそぎ与える一切が、貨幣によって括(くく)られ、形どられた。
母の慈愛,父のいたわりまでが貨幣の鋳型のなかで鋳造され、幼い者たちの魂にまで金銭の毒がまわった。”
“人は神か金かの選択の前では、おおかたは迷わず金をとるだろう。なぜなら、金は神よりも神になったから。”
“人は内なる借金を忘れている。故郷や世間から、どれほど深い恩義を受けていることか。”
これらは,時々出して読み返す「かねの唄」(小野 倉 著・五曜書房 刊)という詩集から拾ったものであるが,本当にカネの苦労をした人にしか浮ばないし,理解できない言葉が連ねられている。〈小野 倉(おの くら)氏は,1934年,岩手県生まれの詩人。〉
寝言にまで「百両欲しい、二百両欲しい」という落語の「夢金」の船頭や,どんな上の句につけても,必ずつながる下の句「それにつけても金の欲しさよ」などの例を挙げるまでもないが,“金が不如意なばかりに,天賦の才や崇高な志が埋もれた例がどんなに多いことか……”という「かねの唄」の忠告をかみしめねばならない。
ここで思い出すのが「人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー(少しのお金)」という,あのチャップリンの名言である。更に私(72歳。現在,某女子大・非常勤講師)は,毎年必ず,最終学年の最初の授業で,学生たちに向かって「世の中に出て,最も役に立つのは“学生時代の友人”です。残されたこの1年で,親友ではなく,生涯の“真友”を作りなさい。親にも,きょうだいにも,恋人にも,誰にも相談できないことを相談できる“真の友”(トゥルーフレンズ)を,一人でも二人でもいいから作りなさい。社会に出てからも,もちろん友人はできますが,何の利害関係もない友は,学生時代の友人だけです」と言い続けている。
これは,私が世の中に出てからの半世紀,幸い色々と異なる分野に,いてくれる幾人かの「真友」に,何度となく助けられ励まされて来た「体験」が言わせるもので,今後も繰り返し,若い人たちに訴え続けるつもりである。
最後に,チャップリンの言葉をもう一つ紹介したい。“貪欲は人類に憎悪をもたらし、悲劇と流血をもたらした。思想だけがあって、感情がなければ、人間性は失われてしまう。” 今や「感情」が「勘定」になってしまっている気がしてならない。
「少しのお金」と「真の友」
松井 洋治(東京都府中市)
去る3月17日,消費者庁は,2013年に発生した悪徳商法や誇大広告による「消費者被害」が6兆円に達したことを公表した。GDP(国民総生産)の1.2%に相当する額で,国民13人に1人が被害に遭い,被害額は平均で60万円だという。
高齢者の老後の貯えをだまし取ってしまう“振り込め詐欺”が「ビジネス化」してしまうなど「カネさえ手に入れば,何をしてもいい」という哀しい風潮は,いつまで続くのであろうか? しかし,そう嘆く前に,最近は,こんな日本になって(して?)しまったのは,私を含む70歳以上の人間の責任かもしれないと,しきりに思い始めている。若い人たちを責める資格が,自分たち高齢者に,本当にあるのだろうかと。
経済力のあることが,人間(特に男)の甲斐性となってしまった社会では,私のように経済力の無い人間は,口では,「カネの貧乏はしても,人貧乏(ひとびんぼう)だけはしないから」と分かったような言い訳をしながら,やはり何となく肩身の狭い思いで生きてきた。「優しさと甲斐性のなさが、裏と表についている」という演歌「雪椿」(唄・小林幸子)の歌詞を,自分のことかと思いながら聞いたものだ。
しかし,今は亡き両親の人生を思えば,子供に残せる財産は「教育しかない」と,海外旅行どころか国内の温泉旅行すらもせずに,カネは残してくれなかった(残せなかった)ものの,ひたすら,5人の子供に「教育」を残す努力だけはしてくれた。
そんな親に育てられた我々世代の多くが,また,第二次大戦後の教育が,「経済力のあることが,人間の甲斐性だ」という社会を作り上げて来たのかもしれないのだ。
「こころざしを果たして、いつの日にか、帰らん」と歌った文部省唱歌「ふるさと」の歌詞も,今や,志を果たして故郷に錦(にしき)を飾る「善男善女」より,カネで飾って帰ってくる「銭男銭女」を,地元自治体は歓迎しているのかもしれない。
昔から,詐欺師,ペテン師はいたに違いないが,年間被害額が6兆円に達するほどまでに「悪事を働いてのカネ儲け」が蔓延してしまった現実から,国民全体が目を背けずに,これから先の日本のあるべき姿を,真剣に考えなければならないはず。
“金(カネ)は弾丸より怖い。魂をぶち抜くから。”
“幼い魂たちにそそぎ与える一切が、貨幣によって括(くく)られ、形どられた。
母の慈愛,父のいたわりまでが貨幣の鋳型のなかで鋳造され、幼い者たちの魂にまで金銭の毒がまわった。”
“人は神か金かの選択の前では、おおかたは迷わず金をとるだろう。なぜなら、金は神よりも神になったから。”
“人は内なる借金を忘れている。故郷や世間から、どれほど深い恩義を受けていることか。”
これらは,時々出して読み返す「かねの唄」(小野 倉 著・五曜書房 刊)という詩集から拾ったものであるが,本当にカネの苦労をした人にしか浮ばないし,理解できない言葉が連ねられている。〈小野 倉(おの くら)氏は,1934年,岩手県生まれの詩人。〉
寝言にまで「百両欲しい、二百両欲しい」という落語の「夢金」の船頭や,どんな上の句につけても,必ずつながる下の句「それにつけても金の欲しさよ」などの例を挙げるまでもないが,“金が不如意なばかりに,天賦の才や崇高な志が埋もれた例がどんなに多いことか……”という「かねの唄」の忠告をかみしめねばならない。
ここで思い出すのが「人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー(少しのお金)」という,あのチャップリンの名言である。更に私(72歳。現在,某女子大・非常勤講師)は,毎年必ず,最終学年の最初の授業で,学生たちに向かって「世の中に出て,最も役に立つのは“学生時代の友人”です。残されたこの1年で,親友ではなく,生涯の“真友”を作りなさい。親にも,きょうだいにも,恋人にも,誰にも相談できないことを相談できる“真の友”(トゥルーフレンズ)を,一人でも二人でもいいから作りなさい。社会に出てからも,もちろん友人はできますが,何の利害関係もない友は,学生時代の友人だけです」と言い続けている。
これは,私が世の中に出てからの半世紀,幸い色々と異なる分野に,いてくれる幾人かの「真友」に,何度となく助けられ励まされて来た「体験」が言わせるもので,今後も繰り返し,若い人たちに訴え続けるつもりである。
最後に,チャップリンの言葉をもう一つ紹介したい。“貪欲は人類に憎悪をもたらし、悲劇と流血をもたらした。思想だけがあって、感情がなければ、人間性は失われてしまう。” 今や「感情」が「勘定」になってしまっている気がしてならない。
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