有限会社 三九出版 - ☆超音波医学国際会議出席異聞(8)  壮大なモスクのある大学での初講義


















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☆超音波医学国際会議出席異聞(8)
              壮大なモスクのある大学での初講義

                         和賀井 敏夫(神奈川県川崎市)

 1969年5月,イランのテヘラン大学医学部の招待により,医用物理研究所での超音波診断法5日間の集中講義を行った。当時はイランと言えば,ペルシャとして古代文明誕生の国で,しかも王制を伝えていることなどから,日本人にとってはペルシャ絨毯などとともに馴染みのある国だった。これがたまたま同年6月,ウィーンでの超音波診断世界会議に出席する機会にこのイラン訪問が実現することになった。本文はホメイニ革命前の現在より約半世紀前のテヘランの懐かしい思い出の話である。
 同年5月25日,午前,羽田空港発の南回りエアフランス航空で出発した。香港からカンボジアのプノンペンに向かう途中,機内で「現在ベトナム上空を飛行中」とのスチュワーデスの淡々としたアナウンスがあったのには、ビックリしてしまった。それは当時、ベトナム戦争の真最中の米空軍の北爆が熾烈に行われていた時なので,飛行機は遥か南方を迂回するものと思っていた。そんな戦場の真上をと驚きながら飛行機の窓から眺めていたが,緑の絨毯の如きベトナムの美しい樹林が眺められるのみで,北爆の米軍爆撃機などを見ることもなく,無事プノンペン空港に着陸したのにはほっとした。その後バンコック,ニューデリーを経て,深夜テヘラン空港に到着した。
 テヘラン空港到着の日時は,テヘラン大学側に2週間前に航空便で連絡しておいたのだが,空港に誰の出迎えもなかった。深夜のためかと思い,タクシーでテヘラン大学から知らせてきたインペリアルホテルに行った。ホテルの名前とは裏腹に,古いレンガ造りの小さなホテルには苦笑ものだった。翌朝,テヘラン大学は近いとのことで,歩いて訪問した。大学の正門が分からず,道を歩いていた警官に聞いたら,「エゲレス,ノウ」と言われてびっくり,「エゲレス」という発音から明治の文明開化時代が思い出された。広い大学構内に入って,素晴らしい多くの建物には驚いてしまった。目的の医用物理研究所に到着したが,その建物の立派さや規模の大きさにも感心した。受付で名前を言うと,すぐ所長のアジジ教授室に案内された。アジジ教授は私の訪問に一瞬驚いたようだったが,同時に抱擁して大歓迎してくれたのには感激だった。私のテヘラン到着の日時についての航空便がまだ着いていないとのことで,これで昨夜以来の全てが氷解したのであった。アジジ教授は「インペリアルホテルの名前で,東京の帝国ホテルを想像したでしょう」と笑って話していた。小さいが歩いて大学に通えるためとのことだった。アジジ教授から,このテヘラン大学はイラン最高の総合大学で,医学部はこのキャンパスには基礎医学のみで,臨床医学の教育は市内数ヶ所の付属関連病院で行われるなどの説明があった。その後,この医用物理研究所内を案内して頂き,光,音波,X線などに関する日本では見られないほどの素晴らしい研究教育設備には驚くばかりだった。今回,この研究所に新たに医用超音波部門が設置されることになり,その準備として私の集中講義を計画したとのことだった。その後,20名ほどの研究所の全教官スタッフが会議室に集まり,アジジ教授より改めての紹介後,早速,超音波医学の基礎からの講義を英語で始めた。面白かったことは,正午になると講義の途中でも「ハイそこまで,後は明日」と,切り上げることであった。毎日午後は暇になるので,広い大学キャンパス構内を見学した。何と言っても驚いたのは,広いキャンパス中央の豪壮なモスクだった。さらにこのモスクの内部の素晴らしい絨毯や大きいドーム型天井の素晴らしいタイルのモザイク模様など豪華な構造には感心するばかりだった。イスラム教国の大学における宗教の現実的存在には驚く以外になかった。またキャンパス内の女子学生の西欧風のモダンな服装には,当時のパーレビ国王の欧米近代化の政策が感じられた。また英会話勉強中の数人の女子学生グループに声を掛けられ,私との「生の英会話」を頼まれたことがあった。1時間ほど芝生の庭に座り,日本の学生生活のことなど色々英語で話し合ったが,果たして私のブロークン英語が役に立ったのか冷汗物だった。
 アジジ医用物理研究所長の自宅での夕食会に,大学や研究所の主なスタッフなど十数人と一緒に招待されたことがあった。自宅でのバイキング形式の豪華なイラン料理と,アジジ教授夫妻の気配りに感謝すると同時に,日本の教授との社会的格差の大きさに愕然としたものだった。またテヘラン市内観光バスで,歴史的なモスクや世界の三大バザールの一つのテヘラン名物のバザールの訪問や,町の食堂で客が親切にも名物「シシカバブー」を勧めてくれたのも楽しい思い出となっている。
 1週間の短いテヘランで、多くのイラン人の人懐っこい親切な人柄には感謝の念で一杯だった。まさかこの数年後に,あのホメイニ師による凄まじいイスラム原理主義革命が起こるとは,全く信じられないほどだった。





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