☆東日本大震災☆
宮城県山元町地区での復興・再生の状況 その1
基幹産業・農業の復旧・復興の状況
菊地 文武(宮城県山元町)
はじめに
私の住む宮城県山元町は県最南部の仙台湾に面する町です。里山・砂浜海岸・防潮林と里山の間の沖積平野の殆どが水田や畑地なので,町の基幹産業は農業といえます。
私は,本誌の35号,39号で,巨大津波の被災体験,街の復旧・復興への歩みについて述べさせて頂きました。今回は,町の基幹産業の復旧・復興の様子について報告させて頂きます。
1.政府の進める農業再生策
政府は,「農業を農家単位の経営から農業法人単位の農業(企業的な経営)に切り換える」という大転換を目指しています。そのために必要な圃場の大区画化を支援してきました。未曾有の東日本大震災は,ちょうどそのような時期に起きたわけです。被災農家に対しての支援は,さしあたりの農業経営の復旧と農業法人による経営に向けての取り組みへの支援の,2つが重なることになりました。現時点での山元町地区の被災農民への政府の支援としては,
? 瓦礫除去・除塩などによる農地の復旧支援。
? いちごの農業法人化による栽培での施設構築への支援。
? 海岸地区での農地の大区画化に向けての農地整備事業への支援。
の3つをあげることができます。
2.農地の復旧
山元町での被災農地で,瓦礫撤去と除塩が終了して復旧したのは,平成25年12月19日段階では70%で,年度内に80%になる見込みです。
3.東部地区沿岸部での大区画農地造成(県の事業)
山元町東部地区沿岸部の農地(500ha)・非農用地(宅地・山林原野など300haの私有地)合わせて800haについては,町(県)は,約470haの大区画化した農地に変える計画を立てています。この地区は,もともとは浜堤と後背湿地なので,整地すると,大区画された160ha分の水田と310ha分の畑地になります。行政は,水田は水稲地区と飼料作物地区に,畑地は芝生の生産地区・果樹栽培地区・露地野菜栽培地区・施設園芸地区へのゾーン分けになると考えています。現在は,行政が,地権者から事業実施の了解を取り付ける作業をしている段階です。
この事業が完成すれば,山元町沿岸部の農地470haが汎用性の高い大区画農地になり,復興に向けてのスタートということになります。しかし,米価の値上がりが期待できないなど農業環境が厳しい状況の中での企業的経営には,家族経営に慣れた農家にとって多くの困難が予想されます。
4.いちご栽培の復興再生
亘理郡東部地区の内,亘理町長瀞地区から山元町海岸部に広がるいちご栽培は,栽培技術や出荷経験など具体的な積み重ねがあったことから,政府の支援の下,比較的容易に「経営体単位の農家法人化」という手法を使っての復興に向かっています。山元町においては,平成25年8月までに,町内4か所のいちご団地に,36戸分の目を見張るような大型鉄骨ハウスが造られ,11月に本格的な出荷が始まりました。その後,更に16戸分の大型鉄骨ハウスが完成し,平成26年の4月には整備が完了します。
また,鉄骨ハウスよりも小型の,従来型ハウスを使っての栽培も行われています。従来型の栽培は,いちご生産に意欲を持ちながらも後継者問題を抱えているなどで踏み切れない農家によって引き継がれているケースが多いといえます。
以上の状況から,亘理郡のいちご栽培は,東北地方第一の生産量を維持できる体制を作り上げ新たな発展を目指す段階に入ったといえます。今後は,資金繰りに耐えられるよう市場の支持を確保し維持しなければなりません。そのための広報活動ともいえる都市農村交流が,従来以上に,大切になります。
亘理郡での都市農村交流の場として最も活用したいのは,広い公有地である砂浜海岸・防潮堤・防潮林で,それぞれの長さは約16?にも及びます(そのうち山元町分は11?)。標高7.2mの堤防を築き,幅約200mの海岸林が完成するのは,平成32年度ということになっています。砂浜海岸から続く公共用地の防災緑地ゾーンは,普段は,町民および周辺住民にとっての保養の空間となり,同時に,都市農村交流の空間ですから,町民としては,こぎれいで使いやすい空間となるよう設計され,その美しさを維持できる仕組も前もって考案されることを願っています。
宮城県山元町地区での復興・再生の状況 その1
基幹産業・農業の復旧・復興の状況
菊地 文武(宮城県山元町)
はじめに
私の住む宮城県山元町は県最南部の仙台湾に面する町です。里山・砂浜海岸・防潮林と里山の間の沖積平野の殆どが水田や畑地なので,町の基幹産業は農業といえます。
私は,本誌の35号,39号で,巨大津波の被災体験,街の復旧・復興への歩みについて述べさせて頂きました。今回は,町の基幹産業の復旧・復興の様子について報告させて頂きます。
1.政府の進める農業再生策
政府は,「農業を農家単位の経営から農業法人単位の農業(企業的な経営)に切り換える」という大転換を目指しています。そのために必要な圃場の大区画化を支援してきました。未曾有の東日本大震災は,ちょうどそのような時期に起きたわけです。被災農家に対しての支援は,さしあたりの農業経営の復旧と農業法人による経営に向けての取り組みへの支援の,2つが重なることになりました。現時点での山元町地区の被災農民への政府の支援としては,
? 瓦礫除去・除塩などによる農地の復旧支援。
? いちごの農業法人化による栽培での施設構築への支援。
? 海岸地区での農地の大区画化に向けての農地整備事業への支援。
の3つをあげることができます。
2.農地の復旧
山元町での被災農地で,瓦礫撤去と除塩が終了して復旧したのは,平成25年12月19日段階では70%で,年度内に80%になる見込みです。
3.東部地区沿岸部での大区画農地造成(県の事業)
山元町東部地区沿岸部の農地(500ha)・非農用地(宅地・山林原野など300haの私有地)合わせて800haについては,町(県)は,約470haの大区画化した農地に変える計画を立てています。この地区は,もともとは浜堤と後背湿地なので,整地すると,大区画された160ha分の水田と310ha分の畑地になります。行政は,水田は水稲地区と飼料作物地区に,畑地は芝生の生産地区・果樹栽培地区・露地野菜栽培地区・施設園芸地区へのゾーン分けになると考えています。現在は,行政が,地権者から事業実施の了解を取り付ける作業をしている段階です。
この事業が完成すれば,山元町沿岸部の農地470haが汎用性の高い大区画農地になり,復興に向けてのスタートということになります。しかし,米価の値上がりが期待できないなど農業環境が厳しい状況の中での企業的経営には,家族経営に慣れた農家にとって多くの困難が予想されます。
4.いちご栽培の復興再生
亘理郡東部地区の内,亘理町長瀞地区から山元町海岸部に広がるいちご栽培は,栽培技術や出荷経験など具体的な積み重ねがあったことから,政府の支援の下,比較的容易に「経営体単位の農家法人化」という手法を使っての復興に向かっています。山元町においては,平成25年8月までに,町内4か所のいちご団地に,36戸分の目を見張るような大型鉄骨ハウスが造られ,11月に本格的な出荷が始まりました。その後,更に16戸分の大型鉄骨ハウスが完成し,平成26年の4月には整備が完了します。
また,鉄骨ハウスよりも小型の,従来型ハウスを使っての栽培も行われています。従来型の栽培は,いちご生産に意欲を持ちながらも後継者問題を抱えているなどで踏み切れない農家によって引き継がれているケースが多いといえます。
以上の状況から,亘理郡のいちご栽培は,東北地方第一の生産量を維持できる体制を作り上げ新たな発展を目指す段階に入ったといえます。今後は,資金繰りに耐えられるよう市場の支持を確保し維持しなければなりません。そのための広報活動ともいえる都市農村交流が,従来以上に,大切になります。
亘理郡での都市農村交流の場として最も活用したいのは,広い公有地である砂浜海岸・防潮堤・防潮林で,それぞれの長さは約16?にも及びます(そのうち山元町分は11?)。標高7.2mの堤防を築き,幅約200mの海岸林が完成するのは,平成32年度ということになっています。砂浜海岸から続く公共用地の防災緑地ゾーンは,普段は,町民および周辺住民にとっての保養の空間となり,同時に,都市農村交流の空間ですから,町民としては,こぎれいで使いやすい空間となるよう設計され,その美しさを維持できる仕組も前もって考案されることを願っています。
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