《自由広場》
繭玉で土産品を創るの記
山下 定利(千葉県千葉市)
この一年,繭玉で土産品を作るテーマに挑戦し,没頭した。ことの発端は平成24年に放送された,NHKの「ラジオ深夜便」である。群馬県富岡市の元官営製糸場が世界遺産に申請中であり,平成26年6月にユネスコの承認を確信していること。承認の暁には,観光客は数倍増の80万人以上が予想されること,を知った。
この情報を得て,小生のハゲ頭はフル回転し始める。サラリーマン時代の大半を営業や企画職にあったから,「土産品需要は急増する」を単純に確信するに至る。
先ず,20年ぶりに富岡製糸場を訪ねた。次いで高崎市の絹の博物館等を見学した。わかったことは,繭玉そのもの,つまり姿を残す形の土産品は,皆無に近いことであった。陳列品は絹織物で目新しい物はなく,繭や絹の名を冠した菓子類が多かった。このことから,繭玉の出番はある,との確信をもつに至った。何といっても,繭は絹産業の原点だからだ。その繭が,今や珍しい存在になっている。
その時,富岡製糸場の観光的魅力を考えた。関心の第一は, 「明治5年開場」である。当時としては,大規模の設備が美しく保存されており,感銘する。この年,太陽暦を採用し,新橋・横浜間の鉄道が開通した。因みに帯刀禁止令は明治9年,西南戦争は,同10年である。関心の第二は,製糸場に対する国の期待の大きさである。歩き始めたばかりの国の強い意思が汲める。関心の第三は,産業の盛衰だ。開場を契機に日本独自の製糸技術が生まれ,世界に良質で安い製品の供給を可能にし,広く需要を喚起することができた。その輸出は,輸出額一位も達成した。やがて昭和40年代,養蚕・製糸産業は衰退を迎えることになる。原因を中国製品の流入を言うが,この一点で片づけてよいものかを想う。このように近代産業史を考えあわせると,実に感銘深い。歴史を丁寧に語り続ける限り,観光客を誘う力は大きいとみた。
いよいよ繭玉に取り組む。繭玉は可愛く,白く,美しい。繭玉の平均的なサイズは,胴の長さが約4?,胴の直径が約2?,重量は0.5g(除蛹)である。この蚕の部屋は1300m余の糸で巻き上げられたもので,強く,通気性に富む。
いざ,繭の手当てとなったが,早々に問題が生じた。製糸会社に相談するも「何処を探しても駄目でしょう」の反応であった。既に繭の生産は,極めて少なく,少量を予約生産する状態であった。かつて日本一の繭の生産を誇った群馬県がこの状況である。20年くらい前は,繭はいくらでも手当てできたように記憶するが,実は当時でも大半は,中国からの輸入だったのである。そして今,繭ではなく糸で輸入されることになったのである。これに伴い,養蚕農家や製糸工場は消えていったのである。そこで思い余って,県庁を訪ねた。県の斡旋で,結局たどり着いたのは,何と富岡市で,その管理下の貴重な繭を分けてもらえることになったのである。因みに市内の養蚕農家は,わずかに15軒ということである。
本番の土産品の創作は,まずフィギュア(人形)づくりから始めた。 既に20余種が完成したが,代表作を紹介すると,○ダルマ○ヒヨコやカラスなどの鳥○馬○蛙○飛行機○ヘリコプター○潜水艇○花……等々である。工夫は,繭とわかる姿を残すこと,したがって彩色を減らし,デフォルメ……を念頭に置き,とにかく可愛く,であった。
次のステップは,生まれたフィギュアを活かすことであった。ストラップは,その一つ。この延長の中で枝折りも生まれたが,繭の軽さを活かしたものだ。フィギュアの展開で自慢は,マグネットとのコラボである。フィギュアの中に小さなマグネットを入れたり,固着させると,面白い製品になった。中でも収穫は,起き上がりこぼしである。富岡市は,ダルマ生産日本一の高崎市の隣りであり,ぜひとも物にしたかった土産品である。繭で起き上がりこぼしを作るには,錘を固着させなければならないが,これだけでは起き上がってくれない。胴の底に平面が必要なのである。わが発明は,マグネットの力を利用したことにある。繭玉の内側の底にボンドを垂らし,マグネットをセットする。そのあと鉄の板(菓子缶等)の上に置くと,磁力が繭の底を圧する。ボンドが乾くと,マグネットが錘の役を果たし,底にはマグネット大の平面が形成されているという次第だ。この他,竹ひごとコラボした「ちょきんバー」も自信作である。穴あきコインの貯金箱(棒)である。
今後の課題は販売にある。ただ今,富岡市内の2店で販売をお願いしているが,春先からは,代理店を増やす他,販路を広げる等,努力する。その上は,製作を地元の高齢者の内職にお願いしたいと考えている。一方わが創作は,独りよがりとならないよう,友人にチェックしてもらっていく。友人は地元の高崎経済大学の卒業生で,40年のお付き合い。因みに彼の「ちょきんバー」に対する評点は,マル三つであった。
繭玉で土産品を創るの記
山下 定利(千葉県千葉市)
この一年,繭玉で土産品を作るテーマに挑戦し,没頭した。ことの発端は平成24年に放送された,NHKの「ラジオ深夜便」である。群馬県富岡市の元官営製糸場が世界遺産に申請中であり,平成26年6月にユネスコの承認を確信していること。承認の暁には,観光客は数倍増の80万人以上が予想されること,を知った。
この情報を得て,小生のハゲ頭はフル回転し始める。サラリーマン時代の大半を営業や企画職にあったから,「土産品需要は急増する」を単純に確信するに至る。
先ず,20年ぶりに富岡製糸場を訪ねた。次いで高崎市の絹の博物館等を見学した。わかったことは,繭玉そのもの,つまり姿を残す形の土産品は,皆無に近いことであった。陳列品は絹織物で目新しい物はなく,繭や絹の名を冠した菓子類が多かった。このことから,繭玉の出番はある,との確信をもつに至った。何といっても,繭は絹産業の原点だからだ。その繭が,今や珍しい存在になっている。
その時,富岡製糸場の観光的魅力を考えた。関心の第一は, 「明治5年開場」である。当時としては,大規模の設備が美しく保存されており,感銘する。この年,太陽暦を採用し,新橋・横浜間の鉄道が開通した。因みに帯刀禁止令は明治9年,西南戦争は,同10年である。関心の第二は,製糸場に対する国の期待の大きさである。歩き始めたばかりの国の強い意思が汲める。関心の第三は,産業の盛衰だ。開場を契機に日本独自の製糸技術が生まれ,世界に良質で安い製品の供給を可能にし,広く需要を喚起することができた。その輸出は,輸出額一位も達成した。やがて昭和40年代,養蚕・製糸産業は衰退を迎えることになる。原因を中国製品の流入を言うが,この一点で片づけてよいものかを想う。このように近代産業史を考えあわせると,実に感銘深い。歴史を丁寧に語り続ける限り,観光客を誘う力は大きいとみた。
いよいよ繭玉に取り組む。繭玉は可愛く,白く,美しい。繭玉の平均的なサイズは,胴の長さが約4?,胴の直径が約2?,重量は0.5g(除蛹)である。この蚕の部屋は1300m余の糸で巻き上げられたもので,強く,通気性に富む。
いざ,繭の手当てとなったが,早々に問題が生じた。製糸会社に相談するも「何処を探しても駄目でしょう」の反応であった。既に繭の生産は,極めて少なく,少量を予約生産する状態であった。かつて日本一の繭の生産を誇った群馬県がこの状況である。20年くらい前は,繭はいくらでも手当てできたように記憶するが,実は当時でも大半は,中国からの輸入だったのである。そして今,繭ではなく糸で輸入されることになったのである。これに伴い,養蚕農家や製糸工場は消えていったのである。そこで思い余って,県庁を訪ねた。県の斡旋で,結局たどり着いたのは,何と富岡市で,その管理下の貴重な繭を分けてもらえることになったのである。因みに市内の養蚕農家は,わずかに15軒ということである。
本番の土産品の創作は,まずフィギュア(人形)づくりから始めた。 既に20余種が完成したが,代表作を紹介すると,○ダルマ○ヒヨコやカラスなどの鳥○馬○蛙○飛行機○ヘリコプター○潜水艇○花……等々である。工夫は,繭とわかる姿を残すこと,したがって彩色を減らし,デフォルメ……を念頭に置き,とにかく可愛く,であった。
次のステップは,生まれたフィギュアを活かすことであった。ストラップは,その一つ。この延長の中で枝折りも生まれたが,繭の軽さを活かしたものだ。フィギュアの展開で自慢は,マグネットとのコラボである。フィギュアの中に小さなマグネットを入れたり,固着させると,面白い製品になった。中でも収穫は,起き上がりこぼしである。富岡市は,ダルマ生産日本一の高崎市の隣りであり,ぜひとも物にしたかった土産品である。繭で起き上がりこぼしを作るには,錘を固着させなければならないが,これだけでは起き上がってくれない。胴の底に平面が必要なのである。わが発明は,マグネットの力を利用したことにある。繭玉の内側の底にボンドを垂らし,マグネットをセットする。そのあと鉄の板(菓子缶等)の上に置くと,磁力が繭の底を圧する。ボンドが乾くと,マグネットが錘の役を果たし,底にはマグネット大の平面が形成されているという次第だ。この他,竹ひごとコラボした「ちょきんバー」も自信作である。穴あきコインの貯金箱(棒)である。
今後の課題は販売にある。ただ今,富岡市内の2店で販売をお願いしているが,春先からは,代理店を増やす他,販路を広げる等,努力する。その上は,製作を地元の高齢者の内職にお願いしたいと考えている。一方わが創作は,独りよがりとならないよう,友人にチェックしてもらっていく。友人は地元の高崎経済大学の卒業生で,40年のお付き合い。因みに彼の「ちょきんバー」に対する評点は,マル三つであった。
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