有限会社 三九出版 - 我,かく闘えり―東日本大震災からの復旧・復興


















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 ☆東日本大震災☆       我,かく闘えり―東日本大震災からの復旧・復興

                            遠藤 祐也(宮城県石巻市) 
                            

 千年に一度といわれる未曾有の大震災から今日で2年10ヵ月経過した。
 岩手・宮城・福島3県の死者・行方不明者が18,600人で,その内の58%が宮城県で10,921人である。石巻市だけでも3,921人,隣接の東松島市で1,160人,女川町で881人,合計5,988人になる。何と県内の死者・行方不明者の54%も占めている。
 私が経営している会社は,本社と生産工場とも海岸から400mしか離れていないため,6mの大津波の直撃を受け壊滅的な被害を受けた。9棟ある建物の内,1棟(平屋)は貨物を満載した10トン車が屋根に覆いかぶさり倒壊し,如何に破壊力が強大であったか想像できる。3月13日になって水が引いたとの連絡を受けて,道路の瓦礫を避けながらやっと会社に辿り着き,被災現場を見たときは,あたかも戦争でも起こったのかと錯覚するほどの惨状であった。愕然とか茫然自失などという感情が全く湧いてこないことが不思議に思ったものだ。周囲を見渡せば人の声が全く聞こえず,カラスとカモメの鳴き声だけがやけに響き渡り,森閑とした,まさに荒涼としたゴーストタウンに立ち尽くすだけであった。周囲の全ての構築物が破壊され,自分のところだけが被災したわけでないことが感情を抑えさせたのかもしれない。流れ着いた大小の車が二段にも三段にも折り重なり,社屋・工場の外壁を突き破り,防砂林の太い松の木が3本内部に食い込んでいた。その夜は眠りに就こうとしてもあの惨状が脳裏を駆け巡り,一睡も出来なかった。15日になって70名の社員は,避難して全員無事との確認が取れたときの安堵感が大きな救いとなりはしたものの,社員の住宅が浸水したり,自家用車が流されたり,親族が亡くなられたり,行方不明との知らせを聞いたときは,身体が打ち震えるほど,自然災害とは申せ,永い人生の中でこのとき程,強烈な恐怖に慄いた経験をしたことはなかった。
 翌日には,さて,何から始めるかを考えなければならず,被災を受けていなかった親戚の建築会社社長と,設計事務所の叔父と復旧・復興計画を策定した。
?先ず,建物内外の瓦礫撤去のための重機2台を3月22日から入れて工事を45日間で完了させること。水道・電気がないため,沢水を毎日5トン搬入し,発電機と高圧洗浄機を用いて鉄骨の洗浄とヘドロの掻き出し,建築足場を確保し防錆塗装を行うこと。
?過去の建築図面により,ガルバリュウムの鉄板・空調に関する機材・断熱パネル・その他建築に関する全ての資材を出入業者に確保させること。
?既存の建物の土間・柱の地震による歪みがないか確認すること。(無し。)
?仮設事務所は当面小宅を使用し,早急に賃借物件を探すこと。(5月10日に移転。)
?製造工場の液体殺菌プラント2基は東大阪に搬出(トラック9台),修理整備をし,8月上旬に搬入据付を完了し,9月1日から製造できる体制にすること。
修繕期間は90日間。その間に工場建物を修理・修繕し完了すること。その他の3工場は9月末日までに修繕復旧させること。
?仮事務所に電話,光回線を引き,支店・営業所とのオンラインを回復させること。福岡支店に送っていた本社・気仙沼のバックアップデータを早急に復旧させること。
?生産部署要員は製造工場が閉鎖している間は気仙沼営業所に通勤し生産すること。
?本社の物流倉庫・冷蔵庫・危険物倉庫は10月1日までに完成すること。
本社屋・研究所は12月23日までに完成させること。什器備品・研究機材・電話等の全ての物品は,8月末日までに発注を完了し,納期を確定しておくこと。
?6月に盛岡と久留米(福岡支店統括)に営業所を設立,余剰人員6名を転勤させる。大震災の2年前から財務・経理・営業・仕入を含む全てのCPUのバックアップデータを,福岡支店に毎週金曜日に送っていたのはリスク回避上正しかったと思う。
 以上が災害復旧の経過であるが,震災後6カ月で生産部門を,9カ月で本社機能を復旧復活出来たことは,多くの業者の協力の賜物であり感謝に堪えないところである。総額で6億円程の物損上の被害であったが,資金調達には何の支障もなかったことは,全て災害に対するリスク管理を事前から対処してきたからに他ならない。2社の地震保険金の満額受領,国税還付金(2年分),国・県からの助成金等々と,創業65年にわたり蓄積してきた財産により,他のどこよりも早く立ち直れたのだと思う。
 ただ,今なお石巻市内には仮設住宅が6600戸,15000人が,厳しい寒さと不便な生活を強いられ耐え忍んでいる。 土地の嵩上げが完了しないと住宅が建てられないし,または高台移転に応じて転居するしかない。それでも何とか昔の生活に戻れることを期待し,希望を失うことなく懸命に笑顔を見せている姿を見ると, 目頭が熱くなる。




 
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