☆銀次郎の日記から
『古希老人A氏の死後100年の夢』
青江 由起夫(千葉県千葉市)
(一) ある一人の男性Aさんの例
(1)西暦2010年(平成22年)1月1日を現在と仮定する。
(2)1940年1月1日誕生,70歳のAさんと仮定。A夫人は5歳年下の65歳。
第一子B40歳(長男または長女)。孫Cは10歳とする。東京都在住者たち。
(3)一世代を30年とする。寿命は男性80歳,女性85歳とする。ほぼ平均寿命とする。
(4)このA氏が寿命の80歳で死去の時は2020年(平成32年)。
第一子Bは50歳。孫Cは20歳。
A氏の死後100年は2120年。第一子Bは70年前の2050年に80歳で死去。
孫Cは40年前の2080年に80歳で死去している計算となる。曾孫(ひまご)(孫の子)Dは10
年前に80歳で死去。玄孫(やしゃご)(孫の孫)Eは60歳で生存。来孫(らいそん)(玄孫の子)Fは30歳。A氏から5世代目。昆孫(こんそん)(玄孫の孫)Gは0歳。A氏から6世代目の人物。ちなみに昆孫Gの80歳で死去の年は2200年。A氏の死後180年経過の時。
(5)A氏の死後100年の時,2120年の時点では生存者は玄孫E(60歳)。来孫F(30歳)。昆孫G(0歳)の三世代のみ。
2010年1月1日は現在のA氏(70歳),同夫人(65歳),第一子B(40歳),孫C(10歳)の三世代4人は名前も顔も知ること不可能な右の玄孫E,来孫F,昆孫G。ただし,曾孫Dのみは,2010年1月1日に誕生とするとA氏80歳で死去の時には10歳。同夫人の死去の85歳の時2030年には曾孫Dは20歳。同世代の第二子以下は省略。
(二) 次に祖父の父母や祖父母たち
(1)2010年1月1日現在と仮定は(一)の場合と同じとする。Aは70歳。
父は一世代30歳年長で100歳(20年前1990年に80歳で死去)。
母は5歳年下とすると95歳(10年前の2000年に85歳で死去)。
祖父は130歳(50年前の1960年・昭和35年に80歳で死去)。祖母は40年前の1970年に85歳で死去。Aさん30歳の時)。曾祖父は160歳(80年前の1930年・昭和5年に死去。曾祖母は1940年・昭和15年に死去)。高祖父(祖父の父)は190歳(110年昔の1900年・明治33年に死去。高祖母は1910年・明治43年に85歳で死去)。
(2)ここで質問を一つ二つ
祖父母4人の名前を言えますか(記憶しているか)。
曾祖父母3人の名前はどうでしょうか。高歯父母16人の名前は……。
一般的には,父方の祖父母の名前は言える。母方の祖父は分かるが祖母の名前は知らない。曾祖父母も,父方の曾祖父は分かるが曾祖母の名前は知らない。
という程度が普通。
墓地の墓石についても,父方の曾祖父母のものは田舎の岩手県の紫波郡紫波町にあるとか,しかし詳しいことは知らない。父方の祖父母の墓地は,神奈川県足柄上郡山北町のある寺にある。母方の祖父母のものは広島県福山市芦田町上有地の正満寺にあるらしい。この程度のこと分かる人は上出来の例。
(三)100年後の玄孫や来孫たちへのメッセージは?。
(1)祖父母の方は双方とも特筆するべきエピソードもない。あってもせいぜい村長程度の肩書きだったらしい。曾祖父たちは祖母方は不明。回想録も日記も俳句集や短歌集も残していない。勿論家系図もない。一般的事例。
(2)A氏の世代の例。
(イ)残すべきメッセージは墓石の刻み文字の戒名のみ。これも一つの案。一つの夢。
(ロ)生前建墓で墓石には戒名のはかに俳句や短歌の一つでも刻み込んで残す。
句会,歌会に参加して同人誌に投稿して訓練をする。これも一つの夢。筆名も刻む。
(ハ)子孫に教育を施す。財テクの研究と実践の毎日。長男はすでに40歳で無理。孫は10歳(小学4年生),次の孫は6歳(小学1年生)。他の孫は省略。
これらの孫の大学院海外留学への学資の準備を十分にしておく。これも夢。
(ニ)回想録,自叙伝を書いて出版。失敗の事例も正直に記述し,反省と戒めの弁も書く。日記で文筆修業中。遺訓十八条も書き残す。
「一つ,人間の一生は人々や社会への奉仕の一生とするべし。清貧,謙虚,誠実,勤勉,布施(寄付などの奉仕)を旨とする。職業も奉仕の主要なものとすること。(以下省略)」。遺訓の勉強も夢の実現の一環。
『古希老人A氏の死後100年の夢』
青江 由起夫(千葉県千葉市)
(一) ある一人の男性Aさんの例
(1)西暦2010年(平成22年)1月1日を現在と仮定する。
(2)1940年1月1日誕生,70歳のAさんと仮定。A夫人は5歳年下の65歳。
第一子B40歳(長男または長女)。孫Cは10歳とする。東京都在住者たち。
(3)一世代を30年とする。寿命は男性80歳,女性85歳とする。ほぼ平均寿命とする。
(4)このA氏が寿命の80歳で死去の時は2020年(平成32年)。
第一子Bは50歳。孫Cは20歳。
A氏の死後100年は2120年。第一子Bは70年前の2050年に80歳で死去。
孫Cは40年前の2080年に80歳で死去している計算となる。曾孫(ひまご)(孫の子)Dは10
年前に80歳で死去。玄孫(やしゃご)(孫の孫)Eは60歳で生存。来孫(らいそん)(玄孫の子)Fは30歳。A氏から5世代目。昆孫(こんそん)(玄孫の孫)Gは0歳。A氏から6世代目の人物。ちなみに昆孫Gの80歳で死去の年は2200年。A氏の死後180年経過の時。
(5)A氏の死後100年の時,2120年の時点では生存者は玄孫E(60歳)。来孫F(30歳)。昆孫G(0歳)の三世代のみ。
2010年1月1日は現在のA氏(70歳),同夫人(65歳),第一子B(40歳),孫C(10歳)の三世代4人は名前も顔も知ること不可能な右の玄孫E,来孫F,昆孫G。ただし,曾孫Dのみは,2010年1月1日に誕生とするとA氏80歳で死去の時には10歳。同夫人の死去の85歳の時2030年には曾孫Dは20歳。同世代の第二子以下は省略。
(二) 次に祖父の父母や祖父母たち
(1)2010年1月1日現在と仮定は(一)の場合と同じとする。Aは70歳。
父は一世代30歳年長で100歳(20年前1990年に80歳で死去)。
母は5歳年下とすると95歳(10年前の2000年に85歳で死去)。
祖父は130歳(50年前の1960年・昭和35年に80歳で死去)。祖母は40年前の1970年に85歳で死去。Aさん30歳の時)。曾祖父は160歳(80年前の1930年・昭和5年に死去。曾祖母は1940年・昭和15年に死去)。高祖父(祖父の父)は190歳(110年昔の1900年・明治33年に死去。高祖母は1910年・明治43年に85歳で死去)。
(2)ここで質問を一つ二つ
祖父母4人の名前を言えますか(記憶しているか)。
曾祖父母3人の名前はどうでしょうか。高歯父母16人の名前は……。
一般的には,父方の祖父母の名前は言える。母方の祖父は分かるが祖母の名前は知らない。曾祖父母も,父方の曾祖父は分かるが曾祖母の名前は知らない。
という程度が普通。
墓地の墓石についても,父方の曾祖父母のものは田舎の岩手県の紫波郡紫波町にあるとか,しかし詳しいことは知らない。父方の祖父母の墓地は,神奈川県足柄上郡山北町のある寺にある。母方の祖父母のものは広島県福山市芦田町上有地の正満寺にあるらしい。この程度のこと分かる人は上出来の例。
(三)100年後の玄孫や来孫たちへのメッセージは?。
(1)祖父母の方は双方とも特筆するべきエピソードもない。あってもせいぜい村長程度の肩書きだったらしい。曾祖父たちは祖母方は不明。回想録も日記も俳句集や短歌集も残していない。勿論家系図もない。一般的事例。
(2)A氏の世代の例。
(イ)残すべきメッセージは墓石の刻み文字の戒名のみ。これも一つの案。一つの夢。
(ロ)生前建墓で墓石には戒名のはかに俳句や短歌の一つでも刻み込んで残す。
句会,歌会に参加して同人誌に投稿して訓練をする。これも一つの夢。筆名も刻む。
(ハ)子孫に教育を施す。財テクの研究と実践の毎日。長男はすでに40歳で無理。孫は10歳(小学4年生),次の孫は6歳(小学1年生)。他の孫は省略。
これらの孫の大学院海外留学への学資の準備を十分にしておく。これも夢。
(ニ)回想録,自叙伝を書いて出版。失敗の事例も正直に記述し,反省と戒めの弁も書く。日記で文筆修業中。遺訓十八条も書き残す。
「一つ,人間の一生は人々や社会への奉仕の一生とするべし。清貧,謙虚,誠実,勤勉,布施(寄付などの奉仕)を旨とする。職業も奉仕の主要なものとすること。(以下省略)」。遺訓の勉強も夢の実現の一環。
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