有限会社 三九出版 - 三度目の秋を迎えて


















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 ☆東日本大震災☆            三度目の秋を迎えて

                            郡 芳一(福島県南相馬市) 
                            

 早いもので,三度目の秋が巡ってきました。野山は淡く染まり始め,収穫物を供え神に感謝する秋祭りを間もなく迎えます。ただ,神への願いは豊作ではなく,家内安全と,一日も早い災害からの復興です。
 国では,オリンピックを東京へ迎えるために,東電の事故はコントロールされていると言い,新聞も津波や原発のことはニュース性が無くなったとでもいうのか,地元紙以外はあたかも復興は終わったかのような報道をし,日本全体が無理に忘れようとしているように思えてなりません。
 しかし,現場の苦しみは変わりなく,確かに空気中の放射能の濃度は半減していますが,反面,地下には雨が降るごとに浸透し,蓄積され,汚染が進んでいます。ある先生方によると,十年後,地下に根を張る果樹類には影響が出るだろう。それを防ぐためには一日も早い除染の必要があると言われています。汚染地の全ての表土を剥ぐなどということは物理的に無理があり,表土を剥ぎ完璧な除染をするなどということは災害地の誰もが信用しておらず,そのように言っていることはパフォーマンスにすぎないと,誰もが思っています。現に2年半経っても,私が住んでいる地域などは全然作業がされてなく,わずかに学校と公園だけで行われましたが,それも周囲の汚染度と変わりはありません。放射能に汚染された空気の中で,国と東電に対する不信を募らせ,諦めの生活をしています。
 南相馬市は五年前,一市二町が合併し,今の姿になりました。復興作業も,東電の線引き一つで大きく異なります。30?圏外の鹿島区は災害と同時に全国から大勢のボランティアの応援を受け,瓦礫の片付けが進み,避難先から人々が帰り,元の生活を取り戻すことが出来ました。また,30km内の原町区も今年から一部を除き復興が進み,学校も戻り,元の生活になりつつあります。しかし,20km圏内の小高区は,日中,後片づけをしているが夜は泊まることが出来ず,田圃には伸びた草の中の至る所に津波の被害にあったままの車が放置され,手つかずのままです。
 九月,東京の学生が,浪江の現状を研修しようと計画を立てたが,バス会社の同意が得られず,25人ほどがマイカーで来町し,南相馬よりマイクロバスで応援しました。浪江町役場の係の人の案内で,第一原発の見える幾橋小学校に入りました。そこは事故現場から約5kmの地点です。原爆を受けた広島の時計のように,2時46分で全ての時計が止まっていました。漁港の事務所の二階には,津波で打ち上げられた船がそのままになっていました。
 被爆の恐れのある中,勇気を持って現状を研修してくれた学生達に感謝するとともに,東京に戻ったら仲間に伝え,またどこかで起こる可能性のある原発事故の対策を立てて欲しいと思いました。
 世界の先端を行くと自負していた日本の原子力発電に対する無知さ,如何にお粗末なものかを知りました。その端的な例は,被害地を距離で線引きし,被害を測ったこ。とにあります。それにより,大きな矛盾と差別が生まれ,無駄な苦しみを出しています。20km内でも30km外より汚染度が少ないのに帰ることが出来ず,30km外の汚染度の高い所でも,医療費,税,高速道路料金の補償を受けずに生活しています。
 帰れる家があるにもかかわらず,机上の線引きにより帰ることの出来ない悔しさ。鹿島区には市として事故現場より遠いということで2400戸の仮設住宅が建てられました。今,この仮設住宅の借上期限と消費税増税の関係で自宅の建設が進んでいます。しかしそれは20km圏外の話で,小高区の人達は津波の被害者はもとより,家があってもいつ帰れるのか分からない人達は,悶々と,隣人の抜けた仮設住宅で,寒い冬を迎えようとしています。この人達のことを思うと心が痛みます。
 同じく大震災の災害を受けた宮城,岩手と異なり,福島は風評被害の差別を含め,多くのものを失いました。国に対する信頼感の喪失と不信感の増幅,作付削減による農業に対する意欲の衰退,農作の目標を失い収穫の喜びもなく,季節の区切りも失いました。さらに,職場閉鎖と児童保護のために若者が流出,多くの医療機関,コミュニティ,家族構成の崩壊など,数えきれないほどの大切なものを失いました。そしてこれらのものを元に戻すためには,長い年月がかかり,大変な苦労,忍耐が必要です。
 このような状態の中で,今でも全国から多くのボランティアの方々が応援に来てくれています。無気力になり諦めつつある地元の人達に活気と笑顔を提供してくれるこれらの方々に心から感謝しております。この感謝の気持ちと,現実の不幸と不便を糧として動き(動かないと不満だけがつのります),頑張って行こうと思っています。




 
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