有限会社 三九出版 - 復 興 所 感


















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 ☆東日本大震災☆            復 興 所 感

                           
                            石附 成二(宮城県仙台市)

 あの忌まわしい大震災から,あっという間に2年5ヶ月が過ぎた。様々な思いが去来するが,復興について若干の所感を述べたい。

(1)バラマキ予算について
 沿岸被災地は,大津波により人的,物的に大被害を蒙った。行政は完全にマヒし,正確な情報の把握は不可能であった。被災県は不眠不休で情報を集め,損害額を積み上げ国へ報告。それを基に,国は予備費の支出,次いで緊急予算措置を講じた。
 しかし,この財政措置は,受け入れ態勢が整わず,窓口の混乱,手続の煩雑,優先順位不徹底等で混乱し,少なからず消化不良を起こした感がある。
 最も批判のあった仮設住宅の遅れは,津波の来ない高台に,あるいは山を切り開いて建設しなければならず,用地の確保が難しく進捗を阻んだ。道路,港湾,橋梁等のインフラの復旧については,膨大な瓦礫の除去問題,極度の建設資材,労働力不足が壁となった。また,住民サイドの復旧・復興にしても,住民間の意見の相違や県・市町村の防災計画との摺り合わせに,時間がかかったし,今もかかっている。執行残の予算は,複数年度にわたって執行できるように基金化され蓄積された。
 これまでの2年間の予算措置は総じて,「何でもあり」のバラマキ予算の感があったことは否めない。一部の政治家や霞ヶ関官僚は,消化しきれないのを先刻承知で,復興以外の事業にも流用できるように,法令の文言を工夫した節がある。しかし,使わない予算を冷凍庫にしまっておくのは勿体ない話である。かねての懸案事項であるデフレ脱却,景気浮揚,そして,今や国際公約である財政再建,消費税率の引き上げ,を謀ったとしても不思議ではない。被災地が復興しても,日本全体が元気にならなければ意味が無い。感情論は別にして,国益のためには容認せざるを得ないのである。
 参院選挙も終わり安定政権が樹立された今日,以後は予算執行の適正化が図られ,基金として滞留している資金も追々整理されることだろう。

(2)防災思想と減災思想について
 万里の長城といわれた,岩手県田老町の防潮堤(長さ2600m,高さ10m)は,この度の大津波で脆くも決壊した。膨大な費用をかけてこれを復元し,たとえ更に5m嵩上げしたところで絶対安全の保障はない。
 「津波てんでんこ」,大きな地震は津波を伴うから,まず身一つで高台へ逃げろ,という昔からの言い伝えを守って多くの人が救われた。
 今回,幼稚園,老人ホーム等の弱者施設,公共施設等が多数流され,これらは絶対的に高台に立地すべきだという教訓を得た。
 しかし,痛い目に遭っても10年,20年経ち,更には二世代,三世代と過ぎるうちに何時しか忘れ去られ,また,海岸近くの平地に移り住むようになって災害の歴史が繰り返されるだろう。自分だけは大丈夫とでも思うのだろうか。
 漁業者,漁業関連業者のように,海岸に施設しなければならない人達もいる。居住区はある程度制限されるのは止むを得ないが,職業・職場は制限することは難しい。
 防災思想に基づく防潮施設だけでは限界がある。とすれば,減災思想に基づく減災施設・避難施設を造る以外ない。
 今回の大津波では,海岸近くでも,基礎がしっかりした大型のビルは流出をまぬがれ,屋上に避難した人々を救った。これは大きな教訓である。数分で避難できる,大型のビルを官民共同でつくり,住民の避難場所,高台代わりとすればよいのである。
 防災施設だけでは,絶対的に被災を防ぐ手立てがない以上,防災思想と減災思想が調和した,費用対効果のバランスした建造物を造る以外にない。

(3)福島の三重苦について
 福島県の被災者は,大地震、大津波に加え,人災である原発被災のトリレンマに苦しんでいる。原発事故は,天災地変に起因する事故だ,などと誤魔化してはならない。
 国,東京電力は,連帯して全責任を持って,とことん対処すべきである。基本的には,放射能汚染の回復が長期に亘り回復の見通しが立たない地域は,復帰不可能地域に指定して,被災土地の買い上げと完全移転保障を早期に徹底して行う必要がある。
 また,市町村役場が町外に移転して,早期に復帰できない場合は,特例法を作り,隣接町村に吸収合併して,腰を据えた対策と住民サービスを図るべきである。




 
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