有限会社 三九出版 - 続・医療はどうなる


















トップ  >  本物語  >  続・医療はどうなる
【隠居のたわごと】
                        続・医療はどうなる

                            小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

善公 ご隠居,元気がありませんね。どこかお悪いんじゃありませんか?
隠居 ああ善さんかい。このところ不整脈がひどくて往生してます。
善公 そりゃいけませんね。ご隠居はたしか狭心症が持病でしたね。
隠居 大藪病院に行きましたが,あたしはお医者さんとはどうも相性が悪い。地域の中核病院だというのに,診察の段取りは藪庵先生のところとそう変わりはありません。ちょっとした問診のあと,すぐにホルター心電計というものをつけられました。結果はとくに異常はないということでしたが,その二日後に心房細動が起こりました。すぐに病院に駆けつけたのですが,一過性のもので心配ないという判断。さらにその二日後,今度は血圧が200近くに上昇。脈拍も90ありました。血圧の薬を服用しているので,ふだんは正常なんですがね。一応心電図をとりましたが,原因はわからず。 「心配ないので静かにやすんでいてください」というのが最終判断。いまも脈はときどき飛びます。さっぱり埒が明きません。
善公 それじゃあ,ご気分はよろしくない。
隠居 まあ心臓はなかなか診断がむずかしいことはわかっています。外科的な怪我とか,レントゲンやCT検査にはっきり現れるものは即座に病因が瞭かになりますが,心臓は見立てが厄介です。だから患者の症状についての問診,あるいはそれまでの種々の検査の克明な分析をもとに微妙な変化を捉え,起こりうることへの〈予見〉が必要だとおもいます。ですが,かかりつけの藪庵先生も,このたびの大藪病院の先生方も,つねにそのときの検査結果だけを見て, 「心配はありません」で片付けます。でも心房細動があり,期外収縮は依然としてつづいているわけですから,あたしの不安はいっこうに解消されません。
善公 家の婆さん,先日風邪をひきましたが,まず検査。問診を少々。打診,聴診はなし。検査結果は検査所の評価そのままだったとか。婆さんは「あれじゃ,医者はいらない。検査結果表を自分で見ればそれでいい」って言ってましたよ。
隠居 以前,本誌(第24号)に「医療はどうなる」という拙文を載せてもらったときにも,「検査機関のサービス」まかせの臨床医療への疑問と不安を書きました。
善公 そうでした。検査表に異常の有無の判定が出ていて,代替りの若先生がそれを一瞥して「異常なし」といったという話でした。
隠居 たしかにお医者さんは経験上検査でおおかたの判断はできるかもしれませんが,それにしても検査依存は,われわれ患者からみても少々首を傾げます。医療機器の開発が医療現場で多くの成果をあげていることは認めます。でも医療機器による検査は万能ではないはずです。まず検査。そして検査の結果は異常なし。でも「この不愉快な状態をどう考えたらいいのか」と尋ねると, 「たぶん気持ちの問題だとおもうので,いちおう現在の薬を継続服用して,なお具合が悪ければあらためて来院ください」で終わり。どうもしっくりこないんだよ。
善公 つまりお医者さんには段取りが先にあって,患者のからだを見ないということですかね。
隠居 そのとおり。患者の〈からだ〉に向き合っていないんだ。患者の年齢,訴えによって〈型分け?〉ができているんですな。そうとしか思えない。でもね,政治も教育も医療も,すべて「本立ちて道生ず」(「論語」)です。臨床医療の「本」は,問診・聴診・打診・触診にあり,といってもいい。これをきちんとなさるお医者さんが少なくなりました。診療技術としてどれほどの意味があるかはわかりませんが (あたしは意味があるとおもっていますが),でも問診や触診を受けるなかで患者がお医者さんに信頼感をもち,こころを開いていくことはたしかです。
善公 あっしのような素人でも,触るとどこが痛いかよくわかりますからね。
隠居 先日, 塩野七生の「求む、主治医先生」(『想いの軌跡』/新潮社)という文章を読みました。諧謔に満ちた主治医募集?の話ですが,そのなかに「昔ふうのお医者さんに加えて、「ハイ、次」でない式の人が望ましいのだ」とあり,その「昔ふうのお医者さん」というのは,子供のころに出会った「 「舌出してごらん」なんて言われているうちに、学校の成績まで全部報告してしまう」 「はじめての恋も、両親が知る前に、 「お医者の先生」のほうが知っている」ようなお医者さんをいうらしい。あたしの子供のころにも,そんなお医者さんがいましたよ。医療機器や技術が進歩するのはいい。その機器や技術を活用するのもいい。手技(わざ)の診察では追いつかない,高度な専門性が要求される,厄介な病気が生まれる時代ですから。でも医療の基本にあるのは,やはり人間的な〈信頼関係〉のような気がします。その信頼関係の具体的なかたちが,問診・聴診・打診・触診だとおもうのです。
善公 おっしゃるとおり。で,そろそろ信頼の証しがでるころじゃありませんか。
隠居 おいでなすった。到来物の塩大福があります。お好きなだけお上がりよ。



投票数:59 平均点:10.00
前
めげない凡人
カテゴリートップ
本物語
次
北海道開拓使と北海道開発庁

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失