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☆超音波医学国際会議出席異聞(4) 米軍用機で国際会議出席
和賀井 敏夫(神奈川県川崎市)
私の数多い国際会議出席の中で,1962年の国際会議出席は米軍用機によるという極めて珍しい経験をしたのであった。これは,同年6月,米国イリノイ大学で開催される「国際医学生物学超音波会議」会長の旧知のイリノイ大学フライ教授からの招待状を受け取ったことに始まった。この瞬間,1956年の米国での国際会議からの初めての招待で旅費工面に苦労した結果,臨時船医として渡米した苦い思い出が甦ってきた(「本物語」38号)。しかし,今回の招待状を良く読むと,米国往復に米空軍輸送機(MATS)を利用,さらに会議後,約1ヶ月の米国内での講演旅行の旅費滞在費は全て米国政府負担という米国政府の「全額負担」の内容だったのには,当時の一介の私大外科助手という身分から考え,夢かとばかり驚いてしまった。この望外の厚遇に感激,早速招待受諾の返事とともに,超音波の診断および治療的応用に関する2題の発表演題と抄録をフライ教授宛に送付した。それから,米政府の指示に従い,当時,代々木のワシントンハイツ内にあった米空軍事務所を訪問,渡米米軍用機の予約や予防接種などの手続を済ませた。さらに初めて旅券やVISAの取得も行った。
6月12日,いよいよ立川米空軍基地から,米軍用機で米国に向け出発する日を迎えた。立川基地正門の守衛に恐るおそる書類を出すと,すぐ下士官が迎えに来てくれた。この下士官殿が出発から米国到着まで全て面倒見てくれたのは有難かった。基地内のレストランで,豪華なステーキの夕食と米国直送のアイスクリームのご馳走に大感激。やがて,巨大な飛行機に案内された。説明によると,これはマッカーサー元帥専用機のバンター号と同じ4発プロペラのコンステレーション機と聞いて感慨深いものがあった。下士官殿の案内で機内に入り,ファーストクラスに案内されたのには驚くやら感激だった。これは出発後知らされたことだが,今回の米国政府の招待は,かなりの高官待遇とのことで全てが納得された。何しろ飛行機に乗ることさえ初めてだっただけに,何から何まで困惑,感激,興奮の連続だった。途中寄航のウエーキ島では基地航空司令官との面会や島内の見学,ハワイの軍用飛行場では真珠湾やワイキキビーチの観光など夢の如き経験をした後,丸3日かけて深夜のサンフランシスコ北方のトラビス空軍基地に到着した。それから下士官殿運転の軍用乗用車でサンフランシスコ市内のホテルに案内された。翌朝,下士官殿が迎えに来て民間の市営空港に行き,民間航空機でシカゴ経由,目的地のイリノイ大学のあるシャンペイン空港に到着した。小さいシャンペイン飛行場のターミナルビルで,イリノイ大学のダン先生の出迎えを受け,車で約1時間の広大なアラトン公園の中の今回の国際会議の会場となる古典的お城のようなアラトンハウスに到着した。ダン先生の説明で,この公園と建物は豪農のアラトン氏が約200年前に造ったもので,その後イリノイ大学に寄付されたとのこと。アラトン公園は,昔は馬で狐などの狩を行ったと言うだけあって,その広大さには驚かされた。今回の会議がこのハウスで,参加者全員合宿体制で1週間行われるとのことには,予想もしていなかっただけに驚いてしまった。宿泊用の部屋に案内されてみると,何と旧式の6人用ベッドのある大部屋で,これは昔の伝統的英国の大学の寄宿舎の様式とのことだった。部屋には先着のドイツ,スエーデンの心臓超音波研究のグループ4,5人が集まっており,皆さん私の名前と研究の内容を知っていてくれたのは嬉しかった。夕食後,ホールで開会式が行われ,30人ほどが出席した。フライ会長の経過報告によると,今回の国際会議には,世界中から超音波生物医学研究領域で現在最も活発な研究者25名を招待,費用は全て米国政府負担とのことだった。日本から二人招待され,私は「癌の超音波診断」と「強力超音波による癌破壊」の2題の発表を行った。今回の国際会議を通じて,日本の超音波医学研究が世界トップレベルにあることが認められたと同時に合宿体制での会議という初めての経験を通じて,多くの外国の活動的な研究者の知己を得たことも大きな収穫だった。
この国際会議終了後,米国政府の立案に従い,米国内10ヵ所の大学,研究所の訪問と講演の約1ヶ月の旅行を行った。この旅行を通じ,米国の超音波研究の現状のみならず,米国の医療,医学教育の実態についても勉強出来たことは幸いだった。最後にサンフランシスコに到着,再び米国到着時のサンフランシスコ北方のトラビス空軍基地より,帰りは巨大な米空軍ジェット機に搭乗,ノンストップで約40日の米国旅行を終え,7月15日横田基地に無事帰国したのであった。
以上,今回の国際会議出席は米軍用機によるという貴重な経験もさることながら,序列の厳しい日本では考えられない私の如き若輩に対しても,その研究を認め最大限の厚遇で対処した若々しい開拓精神を持つ米国という国家に驚き感心したのだった。
☆超音波医学国際会議出席異聞(4) 米軍用機で国際会議出席
和賀井 敏夫(神奈川県川崎市)
私の数多い国際会議出席の中で,1962年の国際会議出席は米軍用機によるという極めて珍しい経験をしたのであった。これは,同年6月,米国イリノイ大学で開催される「国際医学生物学超音波会議」会長の旧知のイリノイ大学フライ教授からの招待状を受け取ったことに始まった。この瞬間,1956年の米国での国際会議からの初めての招待で旅費工面に苦労した結果,臨時船医として渡米した苦い思い出が甦ってきた(「本物語」38号)。しかし,今回の招待状を良く読むと,米国往復に米空軍輸送機(MATS)を利用,さらに会議後,約1ヶ月の米国内での講演旅行の旅費滞在費は全て米国政府負担という米国政府の「全額負担」の内容だったのには,当時の一介の私大外科助手という身分から考え,夢かとばかり驚いてしまった。この望外の厚遇に感激,早速招待受諾の返事とともに,超音波の診断および治療的応用に関する2題の発表演題と抄録をフライ教授宛に送付した。それから,米政府の指示に従い,当時,代々木のワシントンハイツ内にあった米空軍事務所を訪問,渡米米軍用機の予約や予防接種などの手続を済ませた。さらに初めて旅券やVISAの取得も行った。
6月12日,いよいよ立川米空軍基地から,米軍用機で米国に向け出発する日を迎えた。立川基地正門の守衛に恐るおそる書類を出すと,すぐ下士官が迎えに来てくれた。この下士官殿が出発から米国到着まで全て面倒見てくれたのは有難かった。基地内のレストランで,豪華なステーキの夕食と米国直送のアイスクリームのご馳走に大感激。やがて,巨大な飛行機に案内された。説明によると,これはマッカーサー元帥専用機のバンター号と同じ4発プロペラのコンステレーション機と聞いて感慨深いものがあった。下士官殿の案内で機内に入り,ファーストクラスに案内されたのには驚くやら感激だった。これは出発後知らされたことだが,今回の米国政府の招待は,かなりの高官待遇とのことで全てが納得された。何しろ飛行機に乗ることさえ初めてだっただけに,何から何まで困惑,感激,興奮の連続だった。途中寄航のウエーキ島では基地航空司令官との面会や島内の見学,ハワイの軍用飛行場では真珠湾やワイキキビーチの観光など夢の如き経験をした後,丸3日かけて深夜のサンフランシスコ北方のトラビス空軍基地に到着した。それから下士官殿運転の軍用乗用車でサンフランシスコ市内のホテルに案内された。翌朝,下士官殿が迎えに来て民間の市営空港に行き,民間航空機でシカゴ経由,目的地のイリノイ大学のあるシャンペイン空港に到着した。小さいシャンペイン飛行場のターミナルビルで,イリノイ大学のダン先生の出迎えを受け,車で約1時間の広大なアラトン公園の中の今回の国際会議の会場となる古典的お城のようなアラトンハウスに到着した。ダン先生の説明で,この公園と建物は豪農のアラトン氏が約200年前に造ったもので,その後イリノイ大学に寄付されたとのこと。アラトン公園は,昔は馬で狐などの狩を行ったと言うだけあって,その広大さには驚かされた。今回の会議がこのハウスで,参加者全員合宿体制で1週間行われるとのことには,予想もしていなかっただけに驚いてしまった。宿泊用の部屋に案内されてみると,何と旧式の6人用ベッドのある大部屋で,これは昔の伝統的英国の大学の寄宿舎の様式とのことだった。部屋には先着のドイツ,スエーデンの心臓超音波研究のグループ4,5人が集まっており,皆さん私の名前と研究の内容を知っていてくれたのは嬉しかった。夕食後,ホールで開会式が行われ,30人ほどが出席した。フライ会長の経過報告によると,今回の国際会議には,世界中から超音波生物医学研究領域で現在最も活発な研究者25名を招待,費用は全て米国政府負担とのことだった。日本から二人招待され,私は「癌の超音波診断」と「強力超音波による癌破壊」の2題の発表を行った。今回の国際会議を通じて,日本の超音波医学研究が世界トップレベルにあることが認められたと同時に合宿体制での会議という初めての経験を通じて,多くの外国の活動的な研究者の知己を得たことも大きな収穫だった。
この国際会議終了後,米国政府の立案に従い,米国内10ヵ所の大学,研究所の訪問と講演の約1ヶ月の旅行を行った。この旅行を通じ,米国の超音波研究の現状のみならず,米国の医療,医学教育の実態についても勉強出来たことは幸いだった。最後にサンフランシスコに到着,再び米国到着時のサンフランシスコ北方のトラビス空軍基地より,帰りは巨大な米空軍ジェット機に搭乗,ノンストップで約40日の米国旅行を終え,7月15日横田基地に無事帰国したのであった。
以上,今回の国際会議出席は米軍用機によるという貴重な経験もさることながら,序列の厳しい日本では考えられない私の如き若輩に対しても,その研究を認め最大限の厚遇で対処した若々しい開拓精神を持つ米国という国家に驚き感心したのだった。
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