『懐メロを楽しむ』
荒木 勲(群馬県前橋市)
懐メロファンである。特に伊藤久男が朗々と歌い上げる『イヨマンテの夜』と,美空ひばりが情感を込めて,たっぷりと聴かせる『津軽のふるさと』は,これぞ名曲!と惚れ込んでいる。
カラオケ店にもよく行くが,必ずこの2曲を歌わないと,十分堪能した気がしない。仲間も心得たもので,「荒さん,そろそろイヨマンテやってよ」と声をかけてくれる。競輪の最後の一周のジャンジャンのようなもので,この声がかかると,とたんにハッスル。「じゃあ,やるか」とマイクを握り,「アホイヤー」と声を張り上げる。この気分が何ともいえない。
『イヨマンテの夜』は昭和24年,菊田一夫作詞,古関裕而作曲で,NHKのドラマ『鐘の鳴る丘』の劇中歌として生まれた。当時,NHK『のど自慢』で声量自慢がよく歌い,合格の鐘を連打した。
「この歌は上手な人が歌う曲なんだ」と子供心に思っていた。「俺もいつか『イヨマンテの夜』をうまく歌いたい」と,ラジオからこの曲が流れると,かじりついて真剣に練習した。
しかし,「熱き唇 われに寄せてよ」(1番),「熱き吐息を われに与えよ」(2番)の歌詞は,田舎の中学生にとっては恥ずかしく,人前では歌えなかった。
私が初めてこの曲を,大勢の前で歌ったのは,“熱き唇”の意味が分かり始めた,大学2年生のとき。町の産業祭の「のど自慢大会」だった。私がコンパなどでよく口ずさんでいたので,誰かが面白半分で応募したのだ。
カラオケなどない時代で,伴奏はアコーディオンサークルの友人が務めてくれた。この曲は「アホイヤー」の歌い出しで全てが決まる。一週間ほど特訓した。本番では伴奏とぴったりと合い,見事準優勝。その興奮が忘れられず,今でも歌い続けている。
「またか」と,顰蹙を買っているだろうが,ここまで来れば,ボケずに逝き,あの世の大ステージで,仏様か閻魔様を観客にして,熱唱したい。
最近,あの『千の風になって』のテノールの貴公子・秋山雅史か『イヨマンテ…』と『津軽…』をレパートリーに加えている。この2曲を十八番にしている私にとっては,まさに強敵現る,である。
確かに,秋川雅史の歌は,声が伸びて格調高いのだが,何となく教室で歌謡曲を聴いているようで……。やはり伊藤久男,美空ひばりが歌ってこそ,詩情というか歌の雰囲気が伝わってくる。
『津軽…』は米山正夫の作詞作曲。『リンゴ追分』とともに,映画『リンゴ園の少女』の挿入歌だが,『リンゴ追分』の方が大ヒットしたために,歌われる機会の少ない,知る人ぞ知る,隠れた名曲だった。
かつて友人と津軽を旅した。「リンゴのふるさとは 北国の果て……」リンゴ畑を車窓に見ながら,小声で歌ったら,「その歌,俺も好きだよ」と隣席で友も唱和してくれた。
趣味で尺八とオカリナを楽しんでいるが,これにもよく合う曲である。歌詞も旋律も平易だが,ゆったりして奥深い。最近,この二つの楽器を使って,時々お年寄りの施設にボランティアに行く。そこで奏でるのは,もっぱら懐メロ演歌だ。『名月赤城山』『赤城の子守歌』『湖畔の宿』『船頭小唄』など吹いて,ぐっと盛り上がったところで,自分の好きな『津軽の…』を奏し,『ふるさと』を合唱して締める。お年寄りたちは,一緒に口ずさみ涙して喜んでくれる。
市の公民館で,オカリナをともに学んでいる愚妻から「あなたは懐古趣味でついていけないわ」としばしば冷やかされる。
「歌に思い出が寄り添い,思い出に歌は語りかけ,そのようにして歳月は静かに流れています……」。こんなセリフで,パーソナリティの中西龍アナが語りかける町『にっぽんのメロディ』という,NHKラジオ番組があった。
歌にまつわる思い出は尽きない。股旅演歌を聴けば,幼き日の小屋掛けの素人演芸会が偲ばれ,叙情歌が流れれば,夢多かった青春が回想される。
半世紀以上続いた政権が交代した。時代の変化に対応して,懐メロから新曲路線に転換を図るべく努力中だが,覚えるより忘れる方が早く,わが歌の世界は旧態依然,変革できないでいる。
荒木 勲(群馬県前橋市)
懐メロファンである。特に伊藤久男が朗々と歌い上げる『イヨマンテの夜』と,美空ひばりが情感を込めて,たっぷりと聴かせる『津軽のふるさと』は,これぞ名曲!と惚れ込んでいる。
カラオケ店にもよく行くが,必ずこの2曲を歌わないと,十分堪能した気がしない。仲間も心得たもので,「荒さん,そろそろイヨマンテやってよ」と声をかけてくれる。競輪の最後の一周のジャンジャンのようなもので,この声がかかると,とたんにハッスル。「じゃあ,やるか」とマイクを握り,「アホイヤー」と声を張り上げる。この気分が何ともいえない。
『イヨマンテの夜』は昭和24年,菊田一夫作詞,古関裕而作曲で,NHKのドラマ『鐘の鳴る丘』の劇中歌として生まれた。当時,NHK『のど自慢』で声量自慢がよく歌い,合格の鐘を連打した。
「この歌は上手な人が歌う曲なんだ」と子供心に思っていた。「俺もいつか『イヨマンテの夜』をうまく歌いたい」と,ラジオからこの曲が流れると,かじりついて真剣に練習した。
しかし,「熱き唇 われに寄せてよ」(1番),「熱き吐息を われに与えよ」(2番)の歌詞は,田舎の中学生にとっては恥ずかしく,人前では歌えなかった。
私が初めてこの曲を,大勢の前で歌ったのは,“熱き唇”の意味が分かり始めた,大学2年生のとき。町の産業祭の「のど自慢大会」だった。私がコンパなどでよく口ずさんでいたので,誰かが面白半分で応募したのだ。
カラオケなどない時代で,伴奏はアコーディオンサークルの友人が務めてくれた。この曲は「アホイヤー」の歌い出しで全てが決まる。一週間ほど特訓した。本番では伴奏とぴったりと合い,見事準優勝。その興奮が忘れられず,今でも歌い続けている。
「またか」と,顰蹙を買っているだろうが,ここまで来れば,ボケずに逝き,あの世の大ステージで,仏様か閻魔様を観客にして,熱唱したい。
最近,あの『千の風になって』のテノールの貴公子・秋山雅史か『イヨマンテ…』と『津軽…』をレパートリーに加えている。この2曲を十八番にしている私にとっては,まさに強敵現る,である。
確かに,秋川雅史の歌は,声が伸びて格調高いのだが,何となく教室で歌謡曲を聴いているようで……。やはり伊藤久男,美空ひばりが歌ってこそ,詩情というか歌の雰囲気が伝わってくる。
『津軽…』は米山正夫の作詞作曲。『リンゴ追分』とともに,映画『リンゴ園の少女』の挿入歌だが,『リンゴ追分』の方が大ヒットしたために,歌われる機会の少ない,知る人ぞ知る,隠れた名曲だった。
かつて友人と津軽を旅した。「リンゴのふるさとは 北国の果て……」リンゴ畑を車窓に見ながら,小声で歌ったら,「その歌,俺も好きだよ」と隣席で友も唱和してくれた。
趣味で尺八とオカリナを楽しんでいるが,これにもよく合う曲である。歌詞も旋律も平易だが,ゆったりして奥深い。最近,この二つの楽器を使って,時々お年寄りの施設にボランティアに行く。そこで奏でるのは,もっぱら懐メロ演歌だ。『名月赤城山』『赤城の子守歌』『湖畔の宿』『船頭小唄』など吹いて,ぐっと盛り上がったところで,自分の好きな『津軽の…』を奏し,『ふるさと』を合唱して締める。お年寄りたちは,一緒に口ずさみ涙して喜んでくれる。
市の公民館で,オカリナをともに学んでいる愚妻から「あなたは懐古趣味でついていけないわ」としばしば冷やかされる。
「歌に思い出が寄り添い,思い出に歌は語りかけ,そのようにして歳月は静かに流れています……」。こんなセリフで,パーソナリティの中西龍アナが語りかける町『にっぽんのメロディ』という,NHKラジオ番組があった。
歌にまつわる思い出は尽きない。股旅演歌を聴けば,幼き日の小屋掛けの素人演芸会が偲ばれ,叙情歌が流れれば,夢多かった青春が回想される。
半世紀以上続いた政権が交代した。時代の変化に対応して,懐メロから新曲路線に転換を図るべく努力中だが,覚えるより忘れる方が早く,わが歌の世界は旧態依然,変革できないでいる。
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