《自由広場》
連 句 は 面 白 い (その1)
吉成 正夫(東京都練馬区)
古希をとっくに越えた男女の高齢者がテーブルを囲んで,「花だ。月だ。恋だ」と刻の経つのも忘れて喧々諤々やっている。傍目にはちょっとおかしい。でも本人たちは結構真面目です。会場の案内板には「○○連句会」とあります。
いまから17年前,ふとしたことがきっかけで連句をやらないかと誘われました。その時は連句の何たるかを全く判らないままにお付合いすることにいたしました。
連句は連歌の現代版で,連歌よりも手軽で現代的な感覚が強いようです。
はじめに五七五,次に七七,さらに五七五,七七と繰り返していきます。さまざまな形式がありますが,芭蕉が三十六句をもって一巻とする「歌仙」という形式を完成させました。芭蕉の「冬の日」「猿蓑」「炭俵」などは芸術性が高く評価されています。
この「歌仙」形式は現代でも連句のオーソドックスなスタイルとして定着しています。歌仙は,一巻を四つに分けます。初めの六句(表),次の十二句(裏),更に十二句(名残りの表),最後の六句(名残りの裏)の三十六句です。この四分類の名称は二枚の懐紙を横長に二つ折りにしたところからきていますが,パソコン時代とは異なる風雅の趣があります。
この四分類(折という)は,「序・破・急」に対応しています。つまり初めの六句は処女のごとく静々と,裏入り後の二十四句はさまざまなテーマを付けあって変化の妙を楽しみ,最後の六句で取りこぼしたテーマを拾いつつ「挙句」に向かいます。
実作をしてみると実に面白い。私のように文芸の心得がなくても嵌ってしまいます。友人を誘って「連句会」を結成しました。友人の多くは失礼ながら私同様に文芸の心得がないのですが,たちまち連句の面白さに嵌りこんでしまいます。
俗説では,俳句人口一千万人,短歌人口百万人とされています。一方,連句人口は一万人前後でしかなく,まだまだマイナーです。それは連句=連歌との連想が働き,「古典文芸の造詣の深い人が嗜むジャンル」という先入観があって連句の広がりを阻んでいるのではないでしょうか。もったいないことです。
かつて宇宙飛行士の向井千秋さんが宇宙船から「宙返り 何度もできる 無重力」という上の句に下の句を募集したところ,延べ14万件を超える応募がありました。「湯舟でくるり我が子の宇宙」「水のまりつきできたらいいな」「星がまたたき拍手する」などが大賞受賞作品の例ですが,地球と宇宙船での楽しい交感が伝わってきます。「五七五 七七」のリズムは日本人の体に染みついているのです。
連句の面白さは,座の仲間(連衆)との付け運びに尽きます。前句を受けて「即かず離れず」の句をよしとして,いわゆるベタ付けは嫌われます。前句と付句に絶妙な関係が成立した時に,ハタと膝を打ち「うまい!」となるのです。
「歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」(「三冊子」)という芭蕉の言葉が伝えられています。しかし,後に戻らず何処に向かって行くのでしょうか。私見ですが,三十六句の中に私たちの住む天地をいかに詩情豊かに展開するかを競うゲームと考えています。連句には多くのルールがあります。広く天地を詠みこむには付句が後戻りしている暇はありません。連句のルールの多くは「いかに戻らず前進するか」,そのためにあります。
付句が「戻らない」ためにどのような工夫を凝らしているのでしょうか。そのいくつかを紹介しましょう。もちろん連句会によってルールの考え方が若干ずつ違ってきます。昔からの式目を厳格に守るか,あるいはルールを緩めて現代の感覚を付句に活かすか。あるいは「座の文芸」の楽しさを優先するかなどです。
私の仲間で巻いている連句会では,真っ先にチェックする項目がいくつかあります。まず,同じ漢字が再登場していないかどうかです。同じような発想は,同じ漢字という形で表れて来やすいものです。ですから一直会(反省会)では同漢字をチェックします。次に同じようなジャンルの題材を詠んでいないかどうかです。例えば「動物」でも獣,虫,鳥,魚貝などがありますが,近くの句に動物が詠まれていないか,離れて動物が登場する場合でも,ジャンルを異にした動物であるか,等です。次に「打越」です。打越とは付句の前々句のことです。前々句と前句で構成される世界から離れることを「転じ」と言って連句の重要なポイントです。この「転じ」の巧拙によって一巻の出来栄えが左右されてきます。議論百出,一巻の反省会で4〜5時間過ごすことがざらにあります。
〔本号では連句とはどんなものかを述べていただきました。次号で連句に関する筆者の思いを述べていただきます。――三九出版〕
連 句 は 面 白 い (その1)
吉成 正夫(東京都練馬区)
古希をとっくに越えた男女の高齢者がテーブルを囲んで,「花だ。月だ。恋だ」と刻の経つのも忘れて喧々諤々やっている。傍目にはちょっとおかしい。でも本人たちは結構真面目です。会場の案内板には「○○連句会」とあります。
いまから17年前,ふとしたことがきっかけで連句をやらないかと誘われました。その時は連句の何たるかを全く判らないままにお付合いすることにいたしました。
連句は連歌の現代版で,連歌よりも手軽で現代的な感覚が強いようです。
はじめに五七五,次に七七,さらに五七五,七七と繰り返していきます。さまざまな形式がありますが,芭蕉が三十六句をもって一巻とする「歌仙」という形式を完成させました。芭蕉の「冬の日」「猿蓑」「炭俵」などは芸術性が高く評価されています。
この「歌仙」形式は現代でも連句のオーソドックスなスタイルとして定着しています。歌仙は,一巻を四つに分けます。初めの六句(表),次の十二句(裏),更に十二句(名残りの表),最後の六句(名残りの裏)の三十六句です。この四分類の名称は二枚の懐紙を横長に二つ折りにしたところからきていますが,パソコン時代とは異なる風雅の趣があります。
この四分類(折という)は,「序・破・急」に対応しています。つまり初めの六句は処女のごとく静々と,裏入り後の二十四句はさまざまなテーマを付けあって変化の妙を楽しみ,最後の六句で取りこぼしたテーマを拾いつつ「挙句」に向かいます。
実作をしてみると実に面白い。私のように文芸の心得がなくても嵌ってしまいます。友人を誘って「連句会」を結成しました。友人の多くは失礼ながら私同様に文芸の心得がないのですが,たちまち連句の面白さに嵌りこんでしまいます。
俗説では,俳句人口一千万人,短歌人口百万人とされています。一方,連句人口は一万人前後でしかなく,まだまだマイナーです。それは連句=連歌との連想が働き,「古典文芸の造詣の深い人が嗜むジャンル」という先入観があって連句の広がりを阻んでいるのではないでしょうか。もったいないことです。
かつて宇宙飛行士の向井千秋さんが宇宙船から「宙返り 何度もできる 無重力」という上の句に下の句を募集したところ,延べ14万件を超える応募がありました。「湯舟でくるり我が子の宇宙」「水のまりつきできたらいいな」「星がまたたき拍手する」などが大賞受賞作品の例ですが,地球と宇宙船での楽しい交感が伝わってきます。「五七五 七七」のリズムは日本人の体に染みついているのです。
連句の面白さは,座の仲間(連衆)との付け運びに尽きます。前句を受けて「即かず離れず」の句をよしとして,いわゆるベタ付けは嫌われます。前句と付句に絶妙な関係が成立した時に,ハタと膝を打ち「うまい!」となるのです。
「歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」(「三冊子」)という芭蕉の言葉が伝えられています。しかし,後に戻らず何処に向かって行くのでしょうか。私見ですが,三十六句の中に私たちの住む天地をいかに詩情豊かに展開するかを競うゲームと考えています。連句には多くのルールがあります。広く天地を詠みこむには付句が後戻りしている暇はありません。連句のルールの多くは「いかに戻らず前進するか」,そのためにあります。
付句が「戻らない」ためにどのような工夫を凝らしているのでしょうか。そのいくつかを紹介しましょう。もちろん連句会によってルールの考え方が若干ずつ違ってきます。昔からの式目を厳格に守るか,あるいはルールを緩めて現代の感覚を付句に活かすか。あるいは「座の文芸」の楽しさを優先するかなどです。
私の仲間で巻いている連句会では,真っ先にチェックする項目がいくつかあります。まず,同じ漢字が再登場していないかどうかです。同じような発想は,同じ漢字という形で表れて来やすいものです。ですから一直会(反省会)では同漢字をチェックします。次に同じようなジャンルの題材を詠んでいないかどうかです。例えば「動物」でも獣,虫,鳥,魚貝などがありますが,近くの句に動物が詠まれていないか,離れて動物が登場する場合でも,ジャンルを異にした動物であるか,等です。次に「打越」です。打越とは付句の前々句のことです。前々句と前句で構成される世界から離れることを「転じ」と言って連句の重要なポイントです。この「転じ」の巧拙によって一巻の出来栄えが左右されてきます。議論百出,一巻の反省会で4〜5時間過ごすことがざらにあります。
〔本号では連句とはどんなものかを述べていただきました。次号で連句に関する筆者の思いを述べていただきます。――三九出版〕
投票数:53
平均点:10.00
実験とパフォーマンス |
本物語 |
「竹の子医者」の日々 その9 |