《自由広場》
辿りついた場所〜私の大雪山〜
高木 直子(千葉県船橋市)
層雲峡をご存知でしょうか。北海道の最高峰・旭岳ほどの知名度はありませんが,同じ大雪山連峰・黒岳の登山口であり,観光名所の温泉街です。千葉県在住の私ですが,もうずいぶんと長い間,夏を層雲峡で暮らしています。
始まりは旅。北海道や,一人旅への憧れ。旅で出会った人達とのふれあいの中で,いつのまにか辿りついた大雪山。北海道のいろんな場所で巡り会った人達と,どの山に登っても,誰と比べても,一番ヨロヨロで一番ヘタっていた。大雪山は大きくて,一度では歩ききれない。山を下りればまた思う,今度は違う景色がみてみたいと。今日はここ,明日はあっち。この蕾が咲く頃にもう一度この場所に……
花達は生きていて同じ景色は二度とない。期待ハズレのこともあるけれど,想像以上の素晴らしさに言葉を失うこともある。次の景色,次の景色へと,追いかけて追いかけ続けて,出口のない迷路に迷い込んでしまったようなものかもしれない。
日帰りの山歩きから,小屋泊まりの山歩きへ。小屋泊まりからテント泊の縦走へ。そんな中,函館からイカを背負って山小屋で振舞ってくれるおじいちゃん,年に一度のテント泊を楽しみに通うご夫婦,研究者やカメラマン……大雪山に魅せられて通い続ける人々や,山で働く人達に出会い,その縁で山に携わる仕事を手伝うようになるとは,この頃は想像も出来なかった。
「夏でも寒い」などの山の上の常識が下界に伝わっていない現実に,「大雪山の情報発信基地を作りたい」との思いで立ち上げられた,今はなくなってしまった層雲峡自然センターの活動に,2年目から参加させてもらうようになったけれど,遠いあの日,山小屋でイカ飯を一緒に炊いていなかったら,山の上でイカ刺しをご馳走になっていなかったら,きっと,この人生はなかったのかもしれないなぁ……
大雪山は国立公園であり,いろいろの制限があることもあまり認識されず,知っていても軽く考えられていた時代(――今でも?)。登山道以外を歩かないで欲しいとか,植物は雑草に見えてもすべて高山帯の希少なものだから,踏みつけることは勿論のこと,ハイキング気分でその上に座ったり,荷物を置いたりしないで欲しいとか,初歩的な注意事項を広く周知していくこと(――お説教じみてしまうけれど,実は私も知らなかったこと)や,今のようにインターネットで検索すれば,簡単に情報を手に入れられる時代じゃなかったから,歩いて,見て確認した山の状況を手書きの小冊子にして細々と販売したり,雪渓の残り具合・危険箇所,開花時期の予想,紅葉の進み具合など,問い合わせの電話応対,山行相談にのるような,そんな仕事。(――紅葉は始まってみないとわからないから,電話の応対には,かなり苦労したっけ。)
1997年頃,そんな活動をしている団体はそれほど無かっただろうし,リアルな情報を届けているという自負もあり,苦しい仕事だったし逃げ出したい時もあったけれど,「山情報」という形で届けている情報発信だけは,やめたくないと思っていた。その「山情報」にこだわる私の頑固さが災いしたらしく,仕事からはずされて愕然としたけれど,簡単にやめることなど出来なかった。たった一人で,ほんの一年でも,私なりのスタイルで続けようと決めたのは,一番求められているものは「山情報」として届けている情報だと思ったし,初めはやっぱり悔しかったから。一年のはずが二年,三年……七年目になる今も続いているのは,(――悔しさなどとうに忘れてしまった。)今という瞬間,私自身がこの大地に立っていたいだけだから。
雨上がりの空気,花達のみずみずしさ,内側から光を放つような色づいた葉の輝き,滝のように流れ落ちる霧のうねり,音が聞こえるような月の出,満点の星,何万色もの空の色。登山靴に鉢合わせてびっくりしたナキウサギ,アザミにぶら下がり落っこちたリス,わざわざ横を追い越して行ったユキウサギ,人声に慌てて繁みに逃げこんだヒグマ。息も出来ない強風,顔を叩く吹雪,身を切るような冷たい風,風音とだけの孤独,真っ白い静寂。この山に言葉もなく立ち尽くし,ただ涙がこぼれるような風景の中に存在してこられた時間。この日々がいつまで続くのか?いつまで歩き続けることが出来るのか?わからないけれど,この人生は運命だったのだと,それならばゆだねようと,今はそう思う。イイコトばかりじゃなかったけれど,きっと幸せだったから……
ブログ〜層雲峡便り〜良かったら,私の見ている大雪山を,ご覧になってみてください。http://blog.goo.ne.jp/ps_sounkyo_letter/をどうぞ。
辿りついた場所〜私の大雪山〜
高木 直子(千葉県船橋市)
層雲峡をご存知でしょうか。北海道の最高峰・旭岳ほどの知名度はありませんが,同じ大雪山連峰・黒岳の登山口であり,観光名所の温泉街です。千葉県在住の私ですが,もうずいぶんと長い間,夏を層雲峡で暮らしています。
始まりは旅。北海道や,一人旅への憧れ。旅で出会った人達とのふれあいの中で,いつのまにか辿りついた大雪山。北海道のいろんな場所で巡り会った人達と,どの山に登っても,誰と比べても,一番ヨロヨロで一番ヘタっていた。大雪山は大きくて,一度では歩ききれない。山を下りればまた思う,今度は違う景色がみてみたいと。今日はここ,明日はあっち。この蕾が咲く頃にもう一度この場所に……
花達は生きていて同じ景色は二度とない。期待ハズレのこともあるけれど,想像以上の素晴らしさに言葉を失うこともある。次の景色,次の景色へと,追いかけて追いかけ続けて,出口のない迷路に迷い込んでしまったようなものかもしれない。
日帰りの山歩きから,小屋泊まりの山歩きへ。小屋泊まりからテント泊の縦走へ。そんな中,函館からイカを背負って山小屋で振舞ってくれるおじいちゃん,年に一度のテント泊を楽しみに通うご夫婦,研究者やカメラマン……大雪山に魅せられて通い続ける人々や,山で働く人達に出会い,その縁で山に携わる仕事を手伝うようになるとは,この頃は想像も出来なかった。
「夏でも寒い」などの山の上の常識が下界に伝わっていない現実に,「大雪山の情報発信基地を作りたい」との思いで立ち上げられた,今はなくなってしまった層雲峡自然センターの活動に,2年目から参加させてもらうようになったけれど,遠いあの日,山小屋でイカ飯を一緒に炊いていなかったら,山の上でイカ刺しをご馳走になっていなかったら,きっと,この人生はなかったのかもしれないなぁ……
大雪山は国立公園であり,いろいろの制限があることもあまり認識されず,知っていても軽く考えられていた時代(――今でも?)。登山道以外を歩かないで欲しいとか,植物は雑草に見えてもすべて高山帯の希少なものだから,踏みつけることは勿論のこと,ハイキング気分でその上に座ったり,荷物を置いたりしないで欲しいとか,初歩的な注意事項を広く周知していくこと(――お説教じみてしまうけれど,実は私も知らなかったこと)や,今のようにインターネットで検索すれば,簡単に情報を手に入れられる時代じゃなかったから,歩いて,見て確認した山の状況を手書きの小冊子にして細々と販売したり,雪渓の残り具合・危険箇所,開花時期の予想,紅葉の進み具合など,問い合わせの電話応対,山行相談にのるような,そんな仕事。(――紅葉は始まってみないとわからないから,電話の応対には,かなり苦労したっけ。)
1997年頃,そんな活動をしている団体はそれほど無かっただろうし,リアルな情報を届けているという自負もあり,苦しい仕事だったし逃げ出したい時もあったけれど,「山情報」という形で届けている情報発信だけは,やめたくないと思っていた。その「山情報」にこだわる私の頑固さが災いしたらしく,仕事からはずされて愕然としたけれど,簡単にやめることなど出来なかった。たった一人で,ほんの一年でも,私なりのスタイルで続けようと決めたのは,一番求められているものは「山情報」として届けている情報だと思ったし,初めはやっぱり悔しかったから。一年のはずが二年,三年……七年目になる今も続いているのは,(――悔しさなどとうに忘れてしまった。)今という瞬間,私自身がこの大地に立っていたいだけだから。
雨上がりの空気,花達のみずみずしさ,内側から光を放つような色づいた葉の輝き,滝のように流れ落ちる霧のうねり,音が聞こえるような月の出,満点の星,何万色もの空の色。登山靴に鉢合わせてびっくりしたナキウサギ,アザミにぶら下がり落っこちたリス,わざわざ横を追い越して行ったユキウサギ,人声に慌てて繁みに逃げこんだヒグマ。息も出来ない強風,顔を叩く吹雪,身を切るような冷たい風,風音とだけの孤独,真っ白い静寂。この山に言葉もなく立ち尽くし,ただ涙がこぼれるような風景の中に存在してこられた時間。この日々がいつまで続くのか?いつまで歩き続けることが出来るのか?わからないけれど,この人生は運命だったのだと,それならばゆだねようと,今はそう思う。イイコトばかりじゃなかったけれど,きっと幸せだったから……
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