有限会社 三九出版 - 時間と距離の彼方と此方


















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 ☆特別企画☆東日本大震災     時間と距離の彼方と此方

                           小島 泰(千葉県船橋市)

 東日本大震災から1年半,不謹慎だが,私の中で,あの日の驚愕,恐怖,悲しみの記憶は確実に薄らいでいる。それは,被災地と私の住む地との距離の問題なのか,過ぎ行く時間の問題なのか。幸い,亡くなった縁者はいなかったものの,妻の実家は福島県郡山市にあり,私の叔父も仙台市在住で,少なからぬ被害を受けている。そして,何よりも私自身がかつて郡山〜仙台で14年間過ごし,震災3カ月後の支援活動では,名取市周辺の変わり果てた姿に愕然としてきたにもかかわらず……である。
 「お前は,近しい人が亡くなっていてもそう言えるのか?」と問われれば,たぶん「違うと思います」と答えるだろう。しかし,一方で,人とはそんなものではないかとも思うのである。数十年後,百年後,悲しみの記憶を抱えている当事者がこの世を去れば,この大惨事も将来世代の意識からは消えるだろう。
 この夏,広島〜長崎の平和祈念式典と記念行事の手伝いに参加し,語り部の方たちの高齢化についての現地の危機意識を間近に見聞きして,改めてその思いを強くした。
 原爆投下の記録も,阪神淡路大震災や東日本大震災の記録も技術の進歩とともに,よりリアルに詳細に残っていくだろう。しかし,その「思い」は,時間と距離に比例して,乗数的に薄れていくのではないだろうか。「思い」のない記録は,バーチャル(仮想)になりはしないだろうか。
 「この経験を活かさなければいけない」とよく耳にする。確かにシステム面では進化させ,活かすことは可能だろう。しかし,システムを使うのは人である。「思い」の消えたシステムは本当に機能するのだろうか。私は,そこに非常に危うさを感じるのである。 「思い」は残さなければいけない。
 では,時間と距離の彼方に消えていく「思い」をどう残すのか。「思い」を残す基本は「語ること」ではないだろうか。8月には,戦争と原爆の話を,1月には阪神淡路大震災,3月には,東日本大震災の話を,親が子供に話す,子どもを祖父母のもとに連れて行き,話を聞かせる。日本人一人ひとりが語り継ぐことの大切さを認識し,小さな行動を継続することが必要ではないだろうか。震災後1年半が過ぎ,広島〜長崎の暑い夏,熱い思いの中に過ごした今,「思い」を此方に残すのが,当事者と次世代を繋ぐ私たちの年代の使命だと強く思うこのごろなのである。

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