☆特別企画☆東日本大震災 宮城県山元町での復旧復興への歩み
菊地 文武(宮城県山元町)
私が住んでいる山元町では,今回の巨大津波で633名の死者・行方不明者を出しました。また,46%の人達の家屋が水没し,全壊ないしそれに近い状態になりました。その後,瓦礫・ヘドロの始末など復旧への取り組みが始まりましたが,1年半過ぎた今日も,復旧からは遠い状態です。
仙台市の南約40?に位置する山元町は,基幹産業の中心が農業です(ほかに小規模漁港もあります)。住民のあらかたは仙台や広域仙台圏に就業してきました。本稿では,鉄道と基幹産業である農業に絞って,復旧の現況にふれ,次に復興に向けての私の考えを述べさせて頂きます。
●鉄道の復旧……今回の巨大津波で鉄道が流され, 通勤・通学が困難になりました。当然のことですが人口の流出が加速しました。2010年6月に16,717人だった町の人口は,昨年の6月には14,865人になり,今年の7月には13,998人になりました。就業問題,子どもの高校進学先の状況を見ると,人口減はしばらく続きそうです。
さて,鉄道の復旧ですが,鉄道と駅は従来よりも1?内陸部に移されることになりました。移すことにはしましたが,ここも約2mの津波に襲われた所です。
現在,測量が終わり用地買収に向けての説明会も始まりました。しかし町内にある2つの新駅舎へのアクセス道路の建設は着手できていません。礫を敷き詰めて嵩上げして線路を敷設し,駅舎などの建設が完了するまでは長い年月を要するのは目に見えています。
●農業の復旧……山元町での農家戸数はそれほど多くはありません。専業・兼業を合わせて860戸ぐらい(農業就業人口は約1,160人)です。しかしその多くない農家が,町の土地資源を手入れして運用し,町の自然を維持してきたのです。農地の復旧があってはじめて自然環境の回復が達成されるのです。
農地の回復には,まず,運ばれてきた瓦礫を取り除き,積ったヘドロを取り除いて山土を入れる除塩作業などが必要です。現在は,水田地区に関しては,その除塩作業の段階です。
山元町から隣の亘理町にかけてはイチゴ栽培が盛んで,東北一の規模を誇っていました。今回の巨大津波でイチゴハウスなどの施設は全て破壊されました。老夫婦主体の農家など,かなりの農家が復旧を諦めましたが,若手の農家などが共同経営(会社組織など)による規模拡大と新型の設備で観光的要素を含む経営を目指すなど,“復旧”というより“復興”への活動が活発です。これらの動きは,巨大津波で3年ほどのブランクができたことで市場での評価を失っている上に,原発事故による風評被害で市場への参入が不利になっていることによります。
●海岸部を都市農村交流の拠点に!!……原発事故による農業への被害は,福島県に限らず宮城など隣県にも及んでいます。基幹産業が風評被害に曝され,鉄道不通で人口がひどく減ってしまった山元町が復興するには,まずは,広域仙台圏との,都市・農村交流の促進が肝要です。そのためには,海岸部の居住禁止区域を十二分に活用すべきと,私は考えています。そして,ここに都市・農村交流のための諸施設を建設し,広域仙台圏の人々と山元町の人々の,健康・保養・学習・経済活動のための拠点にすることを提案したいと考えています。例えば,海浜緑地帯に緊急避難場所を兼ねて高さ20m以上の建造物を造り,そこに古代に鉄生産の拠点が作られたこと(古代において山元町の辺りから福島県相双地区が日本第二の鉄生産核心地になり,山元町が北部の重要拠点でした)に因んで,古代鉄生産記念館(古代鉄生産施設『古代タタラの模型』などを展示),基幹産業振興用の物産館,さらには貸農園での用具貸し出しなどでのサービスセンター・農具等の保管庫など,諸々の機能を持たせるのです。旧海岸林の西側(地盤沈下がひどく,農地としての回復が困難な所です)にはきれいな海水を引き入れて作る自然観察園,ボート・カヌー場・釣堀・海浜スポーツ支援施設(シャワー場)など,用具貸し出し施設や指導者つきの貸し農園などを集中させれば,雇用創出も夢ではありません。これらは私の考えるグランドデザインの一例ですが,町が将来を目指してのグランドデザインを公表し,可能なところから着手していけば,町民は共通の夢・希望を持てて,町の活性化も進展すると考えています。
菊地 文武(宮城県山元町)
私が住んでいる山元町では,今回の巨大津波で633名の死者・行方不明者を出しました。また,46%の人達の家屋が水没し,全壊ないしそれに近い状態になりました。その後,瓦礫・ヘドロの始末など復旧への取り組みが始まりましたが,1年半過ぎた今日も,復旧からは遠い状態です。
仙台市の南約40?に位置する山元町は,基幹産業の中心が農業です(ほかに小規模漁港もあります)。住民のあらかたは仙台や広域仙台圏に就業してきました。本稿では,鉄道と基幹産業である農業に絞って,復旧の現況にふれ,次に復興に向けての私の考えを述べさせて頂きます。
●鉄道の復旧……今回の巨大津波で鉄道が流され, 通勤・通学が困難になりました。当然のことですが人口の流出が加速しました。2010年6月に16,717人だった町の人口は,昨年の6月には14,865人になり,今年の7月には13,998人になりました。就業問題,子どもの高校進学先の状況を見ると,人口減はしばらく続きそうです。
さて,鉄道の復旧ですが,鉄道と駅は従来よりも1?内陸部に移されることになりました。移すことにはしましたが,ここも約2mの津波に襲われた所です。
現在,測量が終わり用地買収に向けての説明会も始まりました。しかし町内にある2つの新駅舎へのアクセス道路の建設は着手できていません。礫を敷き詰めて嵩上げして線路を敷設し,駅舎などの建設が完了するまでは長い年月を要するのは目に見えています。
●農業の復旧……山元町での農家戸数はそれほど多くはありません。専業・兼業を合わせて860戸ぐらい(農業就業人口は約1,160人)です。しかしその多くない農家が,町の土地資源を手入れして運用し,町の自然を維持してきたのです。農地の復旧があってはじめて自然環境の回復が達成されるのです。
農地の回復には,まず,運ばれてきた瓦礫を取り除き,積ったヘドロを取り除いて山土を入れる除塩作業などが必要です。現在は,水田地区に関しては,その除塩作業の段階です。
山元町から隣の亘理町にかけてはイチゴ栽培が盛んで,東北一の規模を誇っていました。今回の巨大津波でイチゴハウスなどの施設は全て破壊されました。老夫婦主体の農家など,かなりの農家が復旧を諦めましたが,若手の農家などが共同経営(会社組織など)による規模拡大と新型の設備で観光的要素を含む経営を目指すなど,“復旧”というより“復興”への活動が活発です。これらの動きは,巨大津波で3年ほどのブランクができたことで市場での評価を失っている上に,原発事故による風評被害で市場への参入が不利になっていることによります。
●海岸部を都市農村交流の拠点に!!……原発事故による農業への被害は,福島県に限らず宮城など隣県にも及んでいます。基幹産業が風評被害に曝され,鉄道不通で人口がひどく減ってしまった山元町が復興するには,まずは,広域仙台圏との,都市・農村交流の促進が肝要です。そのためには,海岸部の居住禁止区域を十二分に活用すべきと,私は考えています。そして,ここに都市・農村交流のための諸施設を建設し,広域仙台圏の人々と山元町の人々の,健康・保養・学習・経済活動のための拠点にすることを提案したいと考えています。例えば,海浜緑地帯に緊急避難場所を兼ねて高さ20m以上の建造物を造り,そこに古代に鉄生産の拠点が作られたこと(古代において山元町の辺りから福島県相双地区が日本第二の鉄生産核心地になり,山元町が北部の重要拠点でした)に因んで,古代鉄生産記念館(古代鉄生産施設『古代タタラの模型』などを展示),基幹産業振興用の物産館,さらには貸農園での用具貸し出しなどでのサービスセンター・農具等の保管庫など,諸々の機能を持たせるのです。旧海岸林の西側(地盤沈下がひどく,農地としての回復が困難な所です)にはきれいな海水を引き入れて作る自然観察園,ボート・カヌー場・釣堀・海浜スポーツ支援施設(シャワー場)など,用具貸し出し施設や指導者つきの貸し農園などを集中させれば,雇用創出も夢ではありません。これらは私の考えるグランドデザインの一例ですが,町が将来を目指してのグランドデザインを公表し,可能なところから着手していけば,町民は共通の夢・希望を持てて,町の活性化も進展すると考えています。
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