《自由広場》
チェリーロードライン
田中 富榮(徳島県徳島市)
今年の桜は格別美しかった。蕾が膨らみかけたと思ったら一斉に咲き,たった4日間で満開になった。このような咲き方はめずらしいそうである。美しいなあと感じたのは蕾がなく,すべての花びらが開いて丸いかたまりの形になって,枝が見えないほどに咲きみだれていたのである。淡いピンク色の桜並木が土手の道に沿ってどこまでも続いている下を,桜を眺めながらゆったりと歩いてゆくのは心が和んで生きている幸せを満喫した。
先日,徳島県北東部に位置する吉野川市美郷町高開地区の「石積みと芝桜」を見に行った。美郷町は山間部の急な斜面にぽつぽつと人家があり,棚田のような石積みが山の上へと築かれていて,野菜や芋などを植えている。斜面の土止めに植えたのが芝桜であった。今ではピンク,白,紫などの花が石垣をはうように広がり,毎年町あげて「芝桜まつり」を開催している。また美郷町は政治家後藤田正晴氏の生まれ故郷でも有名である。
素朴な山里の若葉やウグイスの鳴き声に心和ませた帰り道,私たちはその足で「チェリーロードライン」をドライブと洒落こんだ。一度行ってみたいと思っていたところである。神山町から焼山寺の側を通り川島まで抜けてゆく県道(43号)・神山―川島線沿いに2千本以上の桜が咲く「チェリーロードライン」の愛称で知られている桜街道は徳島県では桜の名所として有名である。この桜街道は美郷町に住むMさんが,たった一人で私財を投じて34年の年月をかけて桜の木を植え続け作り上げたものである。桜街道の入り口はかつて出生する兵士を送り出した場所であり,Mさんは戦争の悲劇を忘れないでほしいとの思いで桜を植え始めた。そのうち日本一の桜街道をめざして頑張り抜いたのである。今ではその一本一本の枝にはみごとな花が咲き,30キロに渡って延々と桜並木が続いている。Mさんが桜の植樹に打ち込めたのも,その陰でMさんを支え励ましてくれた奥さんがおればこそ桜の植樹や木の手入れに没頭することができたのだ。旅館業の切り盛りはすべて奥さんに任せきりでMさんは植樹活動に専念する日々であった。
しかしその奥さんが病気で7年前に亡くなられたのである。奥さんは手術室へ入る直前にMさんを見つめて「元気になったら父ちゃんの片腕になって一緒に桜を植えたい」と言った。だがその願いもむなしく闘病の末帰らぬ人となってしまった。Mさんは妻の願いを叶え,供養しようと四国霊場札所へ桜の植樹を思い立った。平成6年12月,11番札所藤井寺を皮切りに1番札所霊山寺や75番札所善通寺など,今までに16ヵ寺に植樹をした。寺の迷惑にならないように比較的小ぶりなウコンザクラを選んだ。いろいろな思いを抱いて全国から訪れるお遍路さんの心を,美しい桜の花で少しでも癒すことができたらとの思いを込めて植え続けている。「妻が支えてくれたお陰で,桜街道は県内でも有数の名所になった。私には桜を植えることしかできないが,一本一本感謝の気持ちを込めて植えたい」と。88ヵ所すべてに「鎮魂の桜」を咲かすのがMさんの目標であり,命の続く限り挑戦すると誓っている。Mさんが植えたウコンザクラが四国霊場88ヵ所すべての庭に,一斉に咲き誇る日を想像するだけで心がワクワクする。
2千本以上の桜並木が続く「チェリーロードライン」。県内有数の桜の名所はたった一人の男性が長年の夢を描いて作りあげた男のロマンなのだ。先日私が行ったときは一足遅く残念ながら葉桜の並木であったが,それでも若葉が美しく5月の季節もすてたものではない。来年は必ず満開の桜街道を見物しようと心に決めて帰ってきた。
それから一ヶ月後,友達五人で「ヘルスランド美郷」という温泉へ行った。人里離れた静かな山の中にある温泉で澄み切った空気がおいしかった。周囲には木々が生い茂りウグイスやいろんな鳥の鳴き声がして,風呂上がりにはアメゴの塩焼きやイタドリの塩漬け,美郷ソバなど素朴な山菜料理をお腹いっぱい食べた。女将さんが「桜の季節がすばらしいんですよ。桜並木がずっと続いてたくさんの人で賑わいます」と話してくださった。何とこの温泉が建っている道路は県道43号線であり「チェリーロードライン」であった。そういえば車窓から眺めた道路には桜並木が続いて5月に見た景色とよく似ていると思った。
せっかく来たのだから友達に「チェリーロードライン」を紹介したいと思い,夕暮れの道を走りながら桜街道を築いた美郷のロマンチスト「Mさん物語」をみんなに話してあげた。Mさんは今もご健在であり美郷でうどん屋を営んでいる。桜の咲く季節には結婚している娘さんも里帰りして家族そろって店を手伝っているそうである。
チェリーロードライン
田中 富榮(徳島県徳島市)
今年の桜は格別美しかった。蕾が膨らみかけたと思ったら一斉に咲き,たった4日間で満開になった。このような咲き方はめずらしいそうである。美しいなあと感じたのは蕾がなく,すべての花びらが開いて丸いかたまりの形になって,枝が見えないほどに咲きみだれていたのである。淡いピンク色の桜並木が土手の道に沿ってどこまでも続いている下を,桜を眺めながらゆったりと歩いてゆくのは心が和んで生きている幸せを満喫した。
先日,徳島県北東部に位置する吉野川市美郷町高開地区の「石積みと芝桜」を見に行った。美郷町は山間部の急な斜面にぽつぽつと人家があり,棚田のような石積みが山の上へと築かれていて,野菜や芋などを植えている。斜面の土止めに植えたのが芝桜であった。今ではピンク,白,紫などの花が石垣をはうように広がり,毎年町あげて「芝桜まつり」を開催している。また美郷町は政治家後藤田正晴氏の生まれ故郷でも有名である。
素朴な山里の若葉やウグイスの鳴き声に心和ませた帰り道,私たちはその足で「チェリーロードライン」をドライブと洒落こんだ。一度行ってみたいと思っていたところである。神山町から焼山寺の側を通り川島まで抜けてゆく県道(43号)・神山―川島線沿いに2千本以上の桜が咲く「チェリーロードライン」の愛称で知られている桜街道は徳島県では桜の名所として有名である。この桜街道は美郷町に住むMさんが,たった一人で私財を投じて34年の年月をかけて桜の木を植え続け作り上げたものである。桜街道の入り口はかつて出生する兵士を送り出した場所であり,Mさんは戦争の悲劇を忘れないでほしいとの思いで桜を植え始めた。そのうち日本一の桜街道をめざして頑張り抜いたのである。今ではその一本一本の枝にはみごとな花が咲き,30キロに渡って延々と桜並木が続いている。Mさんが桜の植樹に打ち込めたのも,その陰でMさんを支え励ましてくれた奥さんがおればこそ桜の植樹や木の手入れに没頭することができたのだ。旅館業の切り盛りはすべて奥さんに任せきりでMさんは植樹活動に専念する日々であった。
しかしその奥さんが病気で7年前に亡くなられたのである。奥さんは手術室へ入る直前にMさんを見つめて「元気になったら父ちゃんの片腕になって一緒に桜を植えたい」と言った。だがその願いもむなしく闘病の末帰らぬ人となってしまった。Mさんは妻の願いを叶え,供養しようと四国霊場札所へ桜の植樹を思い立った。平成6年12月,11番札所藤井寺を皮切りに1番札所霊山寺や75番札所善通寺など,今までに16ヵ寺に植樹をした。寺の迷惑にならないように比較的小ぶりなウコンザクラを選んだ。いろいろな思いを抱いて全国から訪れるお遍路さんの心を,美しい桜の花で少しでも癒すことができたらとの思いを込めて植え続けている。「妻が支えてくれたお陰で,桜街道は県内でも有数の名所になった。私には桜を植えることしかできないが,一本一本感謝の気持ちを込めて植えたい」と。88ヵ所すべてに「鎮魂の桜」を咲かすのがMさんの目標であり,命の続く限り挑戦すると誓っている。Mさんが植えたウコンザクラが四国霊場88ヵ所すべての庭に,一斉に咲き誇る日を想像するだけで心がワクワクする。
2千本以上の桜並木が続く「チェリーロードライン」。県内有数の桜の名所はたった一人の男性が長年の夢を描いて作りあげた男のロマンなのだ。先日私が行ったときは一足遅く残念ながら葉桜の並木であったが,それでも若葉が美しく5月の季節もすてたものではない。来年は必ず満開の桜街道を見物しようと心に決めて帰ってきた。
それから一ヶ月後,友達五人で「ヘルスランド美郷」という温泉へ行った。人里離れた静かな山の中にある温泉で澄み切った空気がおいしかった。周囲には木々が生い茂りウグイスやいろんな鳥の鳴き声がして,風呂上がりにはアメゴの塩焼きやイタドリの塩漬け,美郷ソバなど素朴な山菜料理をお腹いっぱい食べた。女将さんが「桜の季節がすばらしいんですよ。桜並木がずっと続いてたくさんの人で賑わいます」と話してくださった。何とこの温泉が建っている道路は県道43号線であり「チェリーロードライン」であった。そういえば車窓から眺めた道路には桜並木が続いて5月に見た景色とよく似ていると思った。
せっかく来たのだから友達に「チェリーロードライン」を紹介したいと思い,夕暮れの道を走りながら桜街道を築いた美郷のロマンチスト「Mさん物語」をみんなに話してあげた。Mさんは今もご健在であり美郷でうどん屋を営んでいる。桜の咲く季節には結婚している娘さんも里帰りして家族そろって店を手伝っているそうである。
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