証券運用とお釈迦様
吉成 正夫(東京都練馬区)
現役時代は,信託銀行で20年以上証券運用に携わってきました。当時の運用は経済の基礎的条件(ファンダメンタルズ)の分析を中心とするもので,現在のような空中戦の運用とはかなり趣を異にしていました。
運用の先輩格であったアメリカの当時の証券分析は,膨大なデータを積み上げて,投資対象とする銘柄の「一株当たりの利益」がいくらになるかを予測することでした。証券のアナリストやファンドマネジャーたちは予測の精度を競うことが仕事でした。
ところがそうした将来予測を冷ややかに眺めていた一団がいました。数学や物理学などの学者たちです。彼らは,投資顧問会社や証券会社が発行する投資情報サービスの予測と実績をデータで測定してまったく当たっていないと批判しました。しかし投資の実務界は「実務を知らない学者のたわ言」として長い間無視したのです。
ところが1990年,統計学を理論の中心とする「現代ポートフォリオ理論」がノーベル経済学賞を受賞したことと,特に日本ではバブルが崩壊して新しい投資理論が求められていたタイミングがぴったり合いました。これは将来,金融工学に繋がっていくのですが,「21世紀の証券運用の技法」として機関投資家の間で急速に普及していきました。
残念なことに,これには欠点がありました。あまりにも専門的になっていく結果,一握りの専門家しか理解できなくなってしまったことです。その結果,経営はブラックボックスを抱え込むことになりました。1998年にもノーベル賞学者の設計したLTCM(Long Term Capital Management)が破綻してアジア危機を引き起こしその予兆があったのですが,決定的に問題を露呈したのが2008年のリーマンショックです。
私は,「運用はシンプル イズ ベスト」と信じています。さまざまな要因を組み合わせていくと,それぞれのステップの中に「リスク」が織り込まれていきますが,目に見えずリスクに気づきにくいのです。最近はやりの「高配当投信」などもそうです。高配当と引き換えに,金利の高い新興国の資産を組み込んだり,なかには配当のために元本を取り崩す「タコ配」のファンドもでてきます。高配当に目がくらんでリスク
が見えなくなってしまいます。美味しい話には必ず眉に唾をつけて聞かなければならないということです。つい最近でもAIJ投資顧問の金融不祥事で,大切な年金が消えてしまいました。
私は「未来は神の領域である」と考えています。例えば,9.11にせよ3.11の東日本大震災にせよ,その一瞬前までは予測できませんでした。その予測できない出来事を中心にして, 世の中は大きく変わっていきます。それほどの大事件でなくても,世の中のさまざまな場面で思いがけないことが始終起きています。その変化を受け継いで社会や人生が大きく変わっていくことは,むしろ当たり前なのです。とは言え未来は神の領域だと思っていても,何とかカーテンの裾を引き上げて,未来をちょっと覗きこみたい。これもどうしようもない人間の心情です。ですから外れても凝りもせず何とか未来を予測しようと切磋琢磨しているのです。その典型例が証券運用です。
「般若心経」を信奉していらっしゃる経営者の方が多くいらっしゃいます。般若心経といえば「色即是空,空即是色」が有名です。私も,ある経営者の方のお勧めで般若心経を読んでみましたが,これこそまさに「運用の神髄」と,すっかり惚れこんでしまいました。中心理念である「空」を分解しますと,「世の中は実体がないものだ=空」,「世の中はお互いの関係の中に成り立っている=縁起」,「世の中は常に変化している=無常」の三つに分けられます。ですから「過去の成功体験を行動の基本として将来に臨んではいけない」ということになりますし,「現在起きているさまざまな事象をよく観察して,いつも将来に備えなくてはいけない」のです。また実体がないということは,裏を返せば「未来に向かって行動すれば,未来を動かすことができる」ということになります。気象学で「バタフライ効果」というのがあります。例えば北京で蝶が羽ばたくと,回り回ってニューヨークで嵐が起きることがありうるということです。複雑系の科学の「初期値の敏感性」と同じことで,わずかな動きが大きな変化を引き起こすことを科学的に証明したものです。大気中の粒子と同様,人間社会も70億の粒子が犇めきあっていますから,気概を持って臨めば,周囲や世の中を変えることができることを教えています。世の中も運用も「空」の理念を頭に入れて行動するならば悩まず対処できるのではないでしょうか。さすがお釈迦様はえらいものです。
吉成 正夫(東京都練馬区)
現役時代は,信託銀行で20年以上証券運用に携わってきました。当時の運用は経済の基礎的条件(ファンダメンタルズ)の分析を中心とするもので,現在のような空中戦の運用とはかなり趣を異にしていました。
運用の先輩格であったアメリカの当時の証券分析は,膨大なデータを積み上げて,投資対象とする銘柄の「一株当たりの利益」がいくらになるかを予測することでした。証券のアナリストやファンドマネジャーたちは予測の精度を競うことが仕事でした。
ところがそうした将来予測を冷ややかに眺めていた一団がいました。数学や物理学などの学者たちです。彼らは,投資顧問会社や証券会社が発行する投資情報サービスの予測と実績をデータで測定してまったく当たっていないと批判しました。しかし投資の実務界は「実務を知らない学者のたわ言」として長い間無視したのです。
ところが1990年,統計学を理論の中心とする「現代ポートフォリオ理論」がノーベル経済学賞を受賞したことと,特に日本ではバブルが崩壊して新しい投資理論が求められていたタイミングがぴったり合いました。これは将来,金融工学に繋がっていくのですが,「21世紀の証券運用の技法」として機関投資家の間で急速に普及していきました。
残念なことに,これには欠点がありました。あまりにも専門的になっていく結果,一握りの専門家しか理解できなくなってしまったことです。その結果,経営はブラックボックスを抱え込むことになりました。1998年にもノーベル賞学者の設計したLTCM(Long Term Capital Management)が破綻してアジア危機を引き起こしその予兆があったのですが,決定的に問題を露呈したのが2008年のリーマンショックです。
私は,「運用はシンプル イズ ベスト」と信じています。さまざまな要因を組み合わせていくと,それぞれのステップの中に「リスク」が織り込まれていきますが,目に見えずリスクに気づきにくいのです。最近はやりの「高配当投信」などもそうです。高配当と引き換えに,金利の高い新興国の資産を組み込んだり,なかには配当のために元本を取り崩す「タコ配」のファンドもでてきます。高配当に目がくらんでリスク
が見えなくなってしまいます。美味しい話には必ず眉に唾をつけて聞かなければならないということです。つい最近でもAIJ投資顧問の金融不祥事で,大切な年金が消えてしまいました。
私は「未来は神の領域である」と考えています。例えば,9.11にせよ3.11の東日本大震災にせよ,その一瞬前までは予測できませんでした。その予測できない出来事を中心にして, 世の中は大きく変わっていきます。それほどの大事件でなくても,世の中のさまざまな場面で思いがけないことが始終起きています。その変化を受け継いで社会や人生が大きく変わっていくことは,むしろ当たり前なのです。とは言え未来は神の領域だと思っていても,何とかカーテンの裾を引き上げて,未来をちょっと覗きこみたい。これもどうしようもない人間の心情です。ですから外れても凝りもせず何とか未来を予測しようと切磋琢磨しているのです。その典型例が証券運用です。
「般若心経」を信奉していらっしゃる経営者の方が多くいらっしゃいます。般若心経といえば「色即是空,空即是色」が有名です。私も,ある経営者の方のお勧めで般若心経を読んでみましたが,これこそまさに「運用の神髄」と,すっかり惚れこんでしまいました。中心理念である「空」を分解しますと,「世の中は実体がないものだ=空」,「世の中はお互いの関係の中に成り立っている=縁起」,「世の中は常に変化している=無常」の三つに分けられます。ですから「過去の成功体験を行動の基本として将来に臨んではいけない」ということになりますし,「現在起きているさまざまな事象をよく観察して,いつも将来に備えなくてはいけない」のです。また実体がないということは,裏を返せば「未来に向かって行動すれば,未来を動かすことができる」ということになります。気象学で「バタフライ効果」というのがあります。例えば北京で蝶が羽ばたくと,回り回ってニューヨークで嵐が起きることがありうるということです。複雑系の科学の「初期値の敏感性」と同じことで,わずかな動きが大きな変化を引き起こすことを科学的に証明したものです。大気中の粒子と同様,人間社会も70億の粒子が犇めきあっていますから,気概を持って臨めば,周囲や世の中を変えることができることを教えています。世の中も運用も「空」の理念を頭に入れて行動するならば悩まず対処できるのではないでしょうか。さすがお釈迦様はえらいものです。
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