有限会社 三九出版 - 《自由広場》  間 違 い


















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                        間 違 い
                             橋本 克紘(神奈川県大和市)

 1968年4月,青雲の志を抱いて水処理会社に入社した。入社して間もなく粉体工学の専門委員会を創る目的で茗荷谷にある工学系の学会を訪ねた。帰途は茗荷谷から丸ノ内線,山手線,小田急線を乗り継いで会社のある千歳船橋へ戻った。茗荷谷から池袋までの丸ノ内線は混んでいた。吊革を掴んで立っていた筆者に,目の前に座っていた二人が顔を合わせると一緒に立ち上がり席を譲ってくれた。折角だからと何も考えずに二人が座っていた席の真中に腰を下ろした。電車が池袋に着き改札口に向かった時,降車客に遠巻きにされている自分に気が付いた。北海道から上京して間もない筆者が誰に間違われたのだろうか。未だに分からない。入社祝いにいただいた物を身に着けていたからかも知れない。 母にはベージュの英国製生地でスーツを誂えて貰った。伯母からは黄緑のネクタイを,叔父からはロレックスをプレゼントされた。新しい黒い靴はピカピカだった。
 それから約10年経った冬の大雪の日,同期に入社した友人と北海道の中都市に住む共通の知人を訪ねた。久し振りに三人で痛飲した。その知人に町一番のキャバレーへ連れて行かれた。店に着くや一階の広いフロアーが眼下に一望できる二階席に案内され,頼みもしないのにフルーツやウイスキーが運ばれ,女性が数人席に着いた。様子がおかしい。そこへマダムと思しい女性が来て,「御覧の通り,いかがわしいことは何もしていません」と釈明する。誰かに間違われたに違いない。気付いた筆者は友人に目配せし知人を連れて早々に引き揚げようとしたが,肝心の知人が気付かず料金を払うと言って聞かない。無理やり連れ出し這々の体で退散した。どんな筋の方々に間違われたのか未だに分からない。只,三人とも濃紺のスーツを着ていた。また,筆者を除く二人の目つきが鋭いのは間違いない。
 電卓の小型化が進みポータブルになったのは1970年に入ってからだ。そんな頃,ある大学の生協で電卓を購入した。代金を支払う段になって店員がやおら算盤を取り出し計算し始めた。店頭ではとっくに算盤は無用になっていると思っていた筆者には驚きだった。「この電卓の計算結果は間違いありませんか?」とつい聞いてしまった。
 電車に乗る度に優先席が早く無くならないものかと思う。優先席を設けて解決を図
るに止まるのではなく,身体に支障のある方,お年寄りや乳幼児を抱えた女性の方々に席を譲るのが極当然になるように啓蒙すれば,優先席など無用になることは間違いない。
 昨年3月11日に東日本大震災が発生してから1年経った。犠牲となられた方々のご冥福と被災地の一日も早い復興を祈る思いが募る一方である。
 5歳と3歳の孫娘がいる。地震や津波の恐ろしさを伝えるために昨年3月12日から1ケ月間の購読紙,朝日新聞を保存している。朝日新聞は,連日,全紙面を充てて被害の甚大さを報じているが,発生直後の報道が特に生々しい。
 3月12日付朝刊の1面は福島第一原子力発電所1,2号機で炉心を冷やす緊急炉心冷却システム(ECCS)が,実際には停電に加え非常用発電機の停止も重なり作動しない状態が続いているために放射能が漏れる可能性を示唆している。同日付夕刊も興味深い。それに拠ると,福島第一原子力発電所1号機で,非常用電源の故障のため緊急炉心冷却システム(ECCS)が働かなくなり,圧力が異常に高まった圧力容器から蒸気を安全弁を開いて大気に放出させたために, 福島第一・第二原発から半径10km以内の住民に避難指示が出た。また,一旦自動的に作動した非常用ディーゼル発電機が約1時間後に何れも止まってしまい,ECCSが長時間にわたって動かせない状態に陥ることになった。
 非常用発電機が停止した原因については,地震の揺れか津波のいずれかが引き金になった可能性があるという関係機関の見方が報じられている。そんなことは自明なのだから敢えて言うまでもなかろう。
 3月15日付の朝刊には計画停電の開始が大きく報じられている。筆者宅では2回被った。何も出来ず,全てが電気仕掛けの日常生活に慣れきっている筆者は電気の有難さを思い知ったが, 同時に電気にはクリアランス(遊び)がないことも思い出した。
 福島第一原子力発電所の事故については,最近になってようやく背景が報じられるようになり,注目すべき原因は何か朧気ながら理解できるようになってきた。
 何れにせよ,電気を生産する発電所が電気を使用できないために緊急事態に陥ったことは間違いない。事態が深刻に過ぎて笑えないが滑稽である。根本的な間違いがあるように思う。
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