有限会社 三九出版 - 《自由広場》    スポーツアナウンサーの陰気な愉しみ


















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《自由広場》

                   スポーツアナウンサーの陰気な愉しみ
                           佐藤 隆輔(東京都世田谷区) 

 私と野球の関わりは長い。初めてプロ野球の公式戦を見たのは,昭和17年1942年6月である。当時は職業野球と云っていたのだが,この試合を見て以来,私の野球好きは確固たるものとなった。その時国民学校二年の私は,兄と共に,住んでいた北海道の小樽から父に連れられ汽車で札幌へ出かけた。父は中学時代野球選手で,野球が大好きだった。その時の古いプロ野球の記録を見ると,東京巨人,南海,大洋,大和の四球団が北海道へ遠征し,6月14日,15日と札幌で二試合ずつ試合をしている。但し記録には会場を札幌丸山としているが,正しくは札幌中島なのである。あの時確かに親子三人は中島球場の三塁側で試合を見たのである。その時先ず試合開始前の守備練習で誰もエラーをする者がいないのを見て驚いた。ユニホームの文字は漢字で書かれていたのだが装いは派手に見え,どの選手達も動きは澱みなく華やかだった。その時分から野球は私の体にしみ込んだのである。
 食うや食わずの戦争が終わって戦後野球が華々しく再開された。私は中学の野球部に入り粗末な道具で野球を楽しみ,耳からは野球放送を聞いて野球に熱中した。大きくなったらプロ野球の選手になりたい。そうでなかったら野球を中継するアナウンサーになりたい。目の前で起こっていることをそのまま生き生きとダイナミックに伝えるのだ。こんな快感が又とあろうか。その頃野球放送はラジオで午後0時15分から始まった。著名なアナウンサーの実況放送に胸を躍らせ,自分もこの様に放送してみたい,また,そうなったらどんなに嬉しい楽しいことだろうかと,しみじみ思った。
 それがその様になったのである。NHKにアナウンサーとして入り,甲子園の高校野球を担当したのである。初放送は昭和37年1962年の選抜高校野球から,プロ野球は昭和41年1966年から携わった。プロ野球の中継であの赤バットの川上哲治さん,華麗な守備としぶといバッティングの鶴岡一人さんが,解説役で私の隣の席にいる。身震いする程の緊張と愉悦。選ばれたことの恍惚は忘れることが出来ない。全国の野球ファンを代表して川上さんに質問する。皆の聞きたいことを代わって鶴岡さんに問い質す。こんな喜びは又とない。
 ラジオの実況の場合,適確に澱みなく,何らの間違いなく,快い快感を聞いている人に与える描写ができたか。テレビもそうなのだが,プレイの裏にあるもの,作戦の予測を放送で伝えていたか。裏にあるもの,作戦の予測がVTRや録音テープを再生して確認できれば,ひとりほくそ笑む。何か陰気な喜びを感じているのである。
 例えばこの前の日本シリーズの第二戦,中日1勝して迎えたこの試合は両軍得点なく迎えた9回裏ホークスの攻撃,無死小久保が二塁打で出て,バッターに6番のセンター長谷川,簡単にバントでランナーを三塁へ送った。これでいいのか。バントは容易に相手にアウトを献上してしまう。この時もし私が放送を担当していたら打つことの意義を強調していたに違いないと思う。また,延長10回の中日森野の決勝打だ。この回は二死からヒットと四球で二塁一塁。森野は外角球を左中間に適時打。馬原投手にはボールを投げてカウントを悪くしたくないという思いがあったのではないか。もし私が実況していたら甘い投球の馬原について喋り,一人悦に入っていただろうか。ほくそ笑むことが出来たであろうか。
 話は昭和48年に遡る。夏の高校野球の決勝は広島商業と静岡高校。2対2の同点で9回裏広島の攻撃。一死三塁で打者は途中からレフトに入っていた大利(オーリ)選手。1(ワン)ボール・2(ツー)ストライクと追い込まれた。ラジオの中継をしていた私は「当然考えられるスクイズバント」と喋った。そこでスクイズ。サードが本塁へ悪送球して広商のサヨナラ勝ち。広商を取材し広商野球を理解していた私は,スクイズを予想することが出来たのだ。後で録音を聞いて腹の底でニタリと笑う。顔色も変えず誰にも判らない様に。
 野球はこの様にアナウンサーがどんな予測をしているか,野球をどれだけ深く理解しているか,絶えず問われていると思う。誰でも知っている野球。程度の差はあっても,判っている野球。そこに難しさがあると云える。
 扨,そこで思うのであるが,「野球はモーツアルトの音楽に似ている」と云えば,唐突であろうか。モーツアルトの音楽は誰でも判る。けれどもその理解の差は随分異なる。或る著名なピアニストが云っていたが,「モーツアルトの曲は演奏するのはやさしい。然しあの世のモーツアルトは私の演奏を聴いて『この程度にしか判っていないのですか』と云って皮肉に笑っているのではないかと思う』そうだ。野球の神様は,「あなたの野球眼はこの程度なのですか」と,自分の野球放送の録音を聞きVTRを見て人知れず陰気な愉しみに耽るこの私を,きっと笑っているに違いない。


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