《自由広場》
島 巡 り
上田 重郎(千葉県柏市)
ある年の夏,何気なく日本地図を眺めているうちにいくつかの島が目にとまり,いずれも行ったことがない事に気がついた。「そうだ 島に行こう」。何処かの誘い文句ではないが,新たなひらめきのような感じに促され,何の準備や予約もせず真っ先に目に付いた佐渡島をめざしたのが最初だった。それから神島,平戸,生月島などを巡った。どの島も固有の風土のなかで重い歴史を持ち,独特の文化を育んでいた。
上野から新幹線と高速船を乗り継ぎ約3時間で佐渡の両津港に降り立っていた。想像以上にすぐ着いてしまい拍子抜けしてしまった。570年前,世阿弥は若狭の小浜から船で20日もかけて流されてきたというのに。
離島というと小さなイメージを持ってしまうが沖縄本島に次いで大きな島。東京都のほぼ半分の広さだ。金北山という最高峰は1200メートルもある。二つの細長い山地にはさまれて中央には国仲平野という開けた土地があり米作も盛んだ。
佐渡といえば金山。大きな山を真っ二つにし,地下には延々400キロに及ぶ坑道を掘り,その産出した金は江戸幕府の財政を支えていたという。平成になるまで金採掘は続いていたそうだ。金山資料館で昔の採掘の様子が再現されている。石見銀山もそうだったが鉱山遺構では人間の業のすさまじさに圧倒される。近頃の金価格高騰のなかで再び脚光を浴びることはないのだろうか,と頭をよぎった。
世阿弥配流の地でもあり,領主が島民の慰撫のため能を奨励し,いまでも島内に33もの能舞台があるそうだ。たまたま通りがかった田圃の傍にあった舞台をのぞくと,地元の人たちが稽古の最中。幽玄の境地が日常のなかにあるようだ。多くの史跡をみるうち,ここは江戸より京(みやこ)の文化圏のなかにあるのだと気がついた。
曽我さん拉致事件の現場は真野湾近くのホテルの傍,こんなところで痛ましい事件が起きたのかと驚かざるをえない。両津は北一輝の出身地で生家や墓が残っており,2.26事件にまで思いが及んだ。金山,トキ,島流しなど悲劇的な色合いを帯びるエピソードが多い所だが,島の気候は新潟本土より温暖。空の青,海の青,山の緑は鮮やかで開放的な明るさを感じたのは何故だろうか。居酒屋で地元の青年が佐渡の電力事情を真剣に議論していたのが印象に残った。
翌年訪れた島は伊勢湾の入り口,伊良湖水道に浮かぶ神島という小さな島だ。三重県の鳥羽港から船で50分。山が海中から突き出たような三角形の島だ。平地はごくわずか。人口は400人足らずで大半は漁業で生計を立てている。歩いて一周しても2時間とかからない。行きの乗船客は帰島する島民と釣り人だけだった。
古墳時代から,神の支配する島として,宗教祭祀や文化の降り積もった玉手箱のような地だ。ここは三島由起夫の小説「潮騒」の舞台として知られる。三島の小説の多くは結末に死があるが,これは若い漁師と海女の恋物語を明るく牧歌的にまでおおらかにうたった一服の清涼剤のような小説だ。ここを選んだ慧眼に感服する。
唯一の集落からは対岸の鳥羽の港の灯が別世界のように見え,島の反対側からは伊良湖岬の灯台が遠望できる。二人の逢瀬の場所は「監的哨」という旧軍施設。海を臨む断崖に朽ちたコンクリート小屋が残っていた。夏草に覆われいまにも二人が姿をあらわしそうなたたずまいだった。釣り人と恋人の聖地といわれても納得できる。
次は平戸島と生月島に足を伸ばした。大村の長崎空港から1時間半。平戸も生月も橋で結ばれもはや離島とはいえないが,昔の人の苦労は想像に余りある。
戦国時代,西洋や中国との交流は平戸島が窓口だった。ザビエルがキリスト教を布教しオランダは立派な商館を拠点に貿易で大いに栄えた。だが鎖国政策によって切支丹は迫害を受け商館は取り壊され,オランダ人は長崎出島に封じ込められてしまった。
かつて威容を誇った商館が同じ場所に復元されていた。小さな湾を囲んで平戸城。ザビエル教会,オランダ商館がぐるっと見渡せる。日本と西洋,禁教と鎖国,近世初頭日本のたどった苦難の足跡を,思い起こさせる箱庭のような光景だ。
殉教の悲劇を背負った島々だけに各所にそれらの史跡がある。また明治の解禁令の後に隠れ切支丹だった人たちが浄財を集めて立てた教会があちこちにある。これがなんとも美しく厳かで可愛らしい。信仰の本来の姿が結晶したもののように思えた。
離島には不思議な魅力がある。周囲を海で囲まれ,孤立した小宇宙。そこには外の世界から絶えず働きかけられ,時に侵蝕され時に利用され,また庇護されながら,それぞれ独特な光彩を放っている。歴史や文化の古層が折り重なって顔を見せており,日本の縮図のように思えてくる。駆け足旅行では表面的なところしか見られないが,離島の奥深さに誘われ,島々への関心が深まるばかりだ。
島 巡 り
上田 重郎(千葉県柏市)
ある年の夏,何気なく日本地図を眺めているうちにいくつかの島が目にとまり,いずれも行ったことがない事に気がついた。「そうだ 島に行こう」。何処かの誘い文句ではないが,新たなひらめきのような感じに促され,何の準備や予約もせず真っ先に目に付いた佐渡島をめざしたのが最初だった。それから神島,平戸,生月島などを巡った。どの島も固有の風土のなかで重い歴史を持ち,独特の文化を育んでいた。
上野から新幹線と高速船を乗り継ぎ約3時間で佐渡の両津港に降り立っていた。想像以上にすぐ着いてしまい拍子抜けしてしまった。570年前,世阿弥は若狭の小浜から船で20日もかけて流されてきたというのに。
離島というと小さなイメージを持ってしまうが沖縄本島に次いで大きな島。東京都のほぼ半分の広さだ。金北山という最高峰は1200メートルもある。二つの細長い山地にはさまれて中央には国仲平野という開けた土地があり米作も盛んだ。
佐渡といえば金山。大きな山を真っ二つにし,地下には延々400キロに及ぶ坑道を掘り,その産出した金は江戸幕府の財政を支えていたという。平成になるまで金採掘は続いていたそうだ。金山資料館で昔の採掘の様子が再現されている。石見銀山もそうだったが鉱山遺構では人間の業のすさまじさに圧倒される。近頃の金価格高騰のなかで再び脚光を浴びることはないのだろうか,と頭をよぎった。
世阿弥配流の地でもあり,領主が島民の慰撫のため能を奨励し,いまでも島内に33もの能舞台があるそうだ。たまたま通りがかった田圃の傍にあった舞台をのぞくと,地元の人たちが稽古の最中。幽玄の境地が日常のなかにあるようだ。多くの史跡をみるうち,ここは江戸より京(みやこ)の文化圏のなかにあるのだと気がついた。
曽我さん拉致事件の現場は真野湾近くのホテルの傍,こんなところで痛ましい事件が起きたのかと驚かざるをえない。両津は北一輝の出身地で生家や墓が残っており,2.26事件にまで思いが及んだ。金山,トキ,島流しなど悲劇的な色合いを帯びるエピソードが多い所だが,島の気候は新潟本土より温暖。空の青,海の青,山の緑は鮮やかで開放的な明るさを感じたのは何故だろうか。居酒屋で地元の青年が佐渡の電力事情を真剣に議論していたのが印象に残った。
翌年訪れた島は伊勢湾の入り口,伊良湖水道に浮かぶ神島という小さな島だ。三重県の鳥羽港から船で50分。山が海中から突き出たような三角形の島だ。平地はごくわずか。人口は400人足らずで大半は漁業で生計を立てている。歩いて一周しても2時間とかからない。行きの乗船客は帰島する島民と釣り人だけだった。
古墳時代から,神の支配する島として,宗教祭祀や文化の降り積もった玉手箱のような地だ。ここは三島由起夫の小説「潮騒」の舞台として知られる。三島の小説の多くは結末に死があるが,これは若い漁師と海女の恋物語を明るく牧歌的にまでおおらかにうたった一服の清涼剤のような小説だ。ここを選んだ慧眼に感服する。
唯一の集落からは対岸の鳥羽の港の灯が別世界のように見え,島の反対側からは伊良湖岬の灯台が遠望できる。二人の逢瀬の場所は「監的哨」という旧軍施設。海を臨む断崖に朽ちたコンクリート小屋が残っていた。夏草に覆われいまにも二人が姿をあらわしそうなたたずまいだった。釣り人と恋人の聖地といわれても納得できる。
次は平戸島と生月島に足を伸ばした。大村の長崎空港から1時間半。平戸も生月も橋で結ばれもはや離島とはいえないが,昔の人の苦労は想像に余りある。
戦国時代,西洋や中国との交流は平戸島が窓口だった。ザビエルがキリスト教を布教しオランダは立派な商館を拠点に貿易で大いに栄えた。だが鎖国政策によって切支丹は迫害を受け商館は取り壊され,オランダ人は長崎出島に封じ込められてしまった。
かつて威容を誇った商館が同じ場所に復元されていた。小さな湾を囲んで平戸城。ザビエル教会,オランダ商館がぐるっと見渡せる。日本と西洋,禁教と鎖国,近世初頭日本のたどった苦難の足跡を,思い起こさせる箱庭のような光景だ。
殉教の悲劇を背負った島々だけに各所にそれらの史跡がある。また明治の解禁令の後に隠れ切支丹だった人たちが浄財を集めて立てた教会があちこちにある。これがなんとも美しく厳かで可愛らしい。信仰の本来の姿が結晶したもののように思えた。
離島には不思議な魅力がある。周囲を海で囲まれ,孤立した小宇宙。そこには外の世界から絶えず働きかけられ,時に侵蝕され時に利用され,また庇護されながら,それぞれ独特な光彩を放っている。歴史や文化の古層が折り重なって顔を見せており,日本の縮図のように思えてくる。駆け足旅行では表面的なところしか見られないが,離島の奥深さに誘われ,島々への関心が深まるばかりだ。
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