有限会社 三九出版 - 《自由広場》    高齢者社会における年配者の幸せについて


















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《自由広場》
               高齢者社会における年配者の幸せについて
                         佐藤 珠子(千葉県流山市)

  私の父の時代,定年は55歳であった。定年後は萎んでしまった風船のようにしょんぼりで,何だか悲しかった。定年は即老人扱いの時代。生産的自分の喪失感と人生の終焉感に突き落とされたようであったろう。人は仕事を取り上げられると辛い。世間も“老人”とするが,やることがないと“老人“になってしまう。私は,欧米のように働けるまで働けないのかと思った。それは子育て後,私を大学院に誘い高齢者雇用に関して論文を書くに至る原動力になった。私は,病気や支障がない限り,高齢者も社会の一員として何らかの形で働く方が幸せだと思っている。
  しかし,高齢者の雇用なり活動を考える時,その根底に流れている日常の意識を変えてゆかないと,歓迎的に実現しないとも考えてもいる。人の気持ちは変わらないけれど,時代と共に“余計な偉ぶり”は削ぎ落としていかなければならないと思う。植え付けられた上下意識を変えない限り,老若の理想的な補完関係は結べないと思う。
  私は若い時から心の中で,いつから“大人らしく”なるかと,期待を込めて自分の心の中を観察してきた。ところが数字の上から年配者になった今正直に告白すると,驚くなかれ,心は“ハタチ・二十歳”のま〜んまである。ハンサムな私好みの人を見るとドキドキワクワクする。まるで学生の時とちっ〜とも変わらない。ただ一つ言えることは,あらゆる角度から人を見る落ち着きが備わった(?)と感じる。平面ばかり見て胸キュンになり苦しまなくなったというのは,ちょっと嬉しい。それが,大人になった醍醐味かもしれないと,ニンマリする。しかし一方で,こちらの容姿がその恋に似つかわしくないことも認識できることが,外見的に落ち着き払っている原因でもある。そうでなかったら,満面の笑みをたたえ,スキップして歩いているだろう。“魂はハタチから年を取らない”とある本に書いてあったが,本当だ。それをベースに世の中を見渡して思うことは,年配者は“大人”を気取らない方が幸せになれると思う。若者に対して常に上から目線でなく,時に弱音を吐こう。そうでないと一緒に暮らしたり,まして一緒に仲良く仕事は出来ないと思うが,どうだろうか。得てして同等の立場で弱音を見せ合っこしないと,人は親しくなれないものだと思うからだ。
  若者を批判するのではなく理解し認めよう。ちょっと大風呂敷な若者は気になるが,今の若者の良い点は,正直であることと,人の目をあまり気にしない点である。勿論,目を覆いたくなる御仁はどの世代にもいる。そちらに目を向けても何の進歩もない。年配者の中には今の若者に眉をひそめる人もいるが,無垢の気持ちで観察すると,常識をインプットしていないが故に自由な発想から,例えば,今までにない家事上手な主婦が多くいるのに驚く。年配の私も若い人の家事や料理や節約の仕方に,“なるほど〜”と唸ることも多い。小さな子供を持ったお母さんたちがお洒落になったが,一見昔的に言うと手抜きしている風に見えるお母さんが案外,可愛いお弁当を作ったり,理にかなった合理的な生活術を考案したりする。女性にその傾向が強いが,協調的な夫は肩肘も張らないし,無駄に威張らないところがまた良い。能力をひけらかさないがいろんな分野に博学である。子供をおんぶしている男性もよく見かける。彼らは,無駄に干渉はせず,世間体も気にしないが,人には優しい。結構自由だと思っていた私もまだ世間体に呪縛されていると改めて知り,彼らに尊敬の念を抱いたり,その技に感謝することがある。こちらがどのような目で眺めるかで印象が変わってくると思う。“電車の中で化粧している”と訝る人もいるが,“迷惑”でしょうか?  私は若い人がどのように化粧するのか見守ってしまう。揺れる電車の中で器用に化粧できるものだと感心したりもする。本人も何も電車の中で化粧したいわけではないだろう。実際,私も電車の中で,口紅をつけたり,眉を引いたりすることがある。なぜ化粧してはいけないのか私は正直に言うとわからない。大股開きの男性や酒臭いおじさん達の方がよほど迷惑であると思うのは私だけだろうか? 昔に比べれば若者は騒がない。しかし今回の東日本大震災に若者が淡々と頑張っている姿を見ながら,今の若者の静かな頑張りに日本は気持ちが救われていると思うけれど如何だろうか? “今の若い者は〜”は昔の驕ったセリフ。私たちの魂が老いも若きもハタチとすると,違いは経験だけだ。経験にはどうか敬意を払ってもらい,お互いの立場を優しい目で理解したらいい。若者は年配者の経験に耳を傾け,年配者は若者の新しい合理的な発想を一応受け止め公平な心で吟味した方が賢い。お互い好きになってもらえるような優しい人でありたい。それが,長期化する高齢期・高齢社会における楽しい社会生活および生産生活を招くと信じ始めているところである。
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