有限会社 三九出版 - 《自由広場》       新河岸川に「時」が流れる


















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《自由広場》
               新河岸川に「時」が流れる
                       叶 玲子(埼玉県川越市)

 私の家の横を流れる新河岸川は,今や何の変哲もない平凡な流れであるが,この岸辺を歩むとき,四季おりおりの自然の美しさに触れられると共に,新河岸川の「時」の流れを感じ,「時」は小江戸川越にさかのぼり,我が街,我が家にたどり着く。結婚後,15年間は夫の転勤によって,日本のあちこちをまわってきたが,現在,生まれ育ったこの新河岸川のほとりを終の棲家と定め,夫とこの川の土手を歩くことを日課として過ごしている私である。
 東上線「新河岸」駅を降りて約1キロ,「旭橋」のたもとに地元史跡保存会が建立した石碑(昭和50年4月)があるが,これは過去300年にわたって,江戸と川越の物資・旅客・文化を船で結んだ「舟運発祥の地」としての市指定の史跡である。
 江戸初期から川越の繁栄を一手に支えてきた新河岸川舟運も,大正3年,東上線の開通と,流域の河川改修工事による打撃で,衰退の一途をたどり,昭和6年3月,県令で舟運禁止令が出されると決定的になった。しかし私の幼い頃の記憶によれば,昭和15年頃まで,船頭さんが中で生活する舟が一艘あり,米のとぎ汁が流れていたのを思い出す。これが新河岸川舟運の最後の姿だったのかも知れない。
 歴史の小道をたどってみよう。
 新河岸川は,九十川,不老川,伊佐沼の湧水等を集め,和光市で荒川に合流し,千住,浅草,日本橋に至る一級河川で,「九十九曲がり・三十里」と舟歌に唄われている。「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱が川越城主になったのは,寛永16年(1639年)正月。熱心な藩政改革で,領内は農業の発展と殖産により武蔵の国一円の産業集散地となり,川越と江戸を結ぶ太いパイプが必要になった。そこで信綱が目をつけたのが,当時内川と呼ばれていた新河岸川を水量確保のため改修し,ここに江戸に通ずる舟運を開くことであった。
 正保元年(1644年),信綱は眼鏡にかなった人物を河岸守りとして取り立て,ご公儀の河岸として,新河岸の新田集落に移り住まわせた。母からよく聞いたが,当時10両という大金と土地を下賜されたといわれている。実は,その一人が我が祖先だとのことである。名字帯刀であったのか,蔵の中にはその由来書と刀が保存されている。また,実家の菩提寺(勝福寺)の先祖代々の墓所は,寺随一の広さを所有しているところから見ても,かなり優遇されていたのではないだろうか? 時代は下るが宝永2年(1705年)の「上新河岸諸色明細帳」(遠藤家文書)によれば東寺の舟問屋は6軒とあるので,当初はもっと少数だったと思われる。
 実家の蔵にあった膨大な舟運関係の古文書は,現在,川越市指定文化財として川越市立博物館に保管され,「上新河岸 遠藤家文書目録」として発行されているが,この古文書を自力で読みこなす力がないのは残念である。
 藩の公用を目的として開かれたこの舟運も,時の経過につれて五河岸が開設され,安政6年(1859年)には問屋数も30軒・舟82隻,藩の御用船4隻が運行され,川越商人と結びついて繁栄していった。その反面,河岸問屋,船頭,馬方と川越商人との間でのトラブルが訴訟問題に発展したこともあった。(福本武久著『武州かわごえ繋舟騒動』・因みにこの小説の主人公のモデルは祖先の遠藤半蔵である)
 船はそれぞれ問屋が所有し,定期便の早船は,江戸まで4〜5日で1往復,1か月6往復。旅客は1隻に20〜30人で旅客運賃は明治12年で金15銭(現在の米価で3.5キロぐらい)であった。荷物は上りが穀物,醤油,炭,そうめん,石炭等で,江戸からの下りでは干鰯,糖,砂糖,塩,日用雑貨等で,問屋ごとに扱う物が決まっていた。熱海から温泉の湯が川越の豪商に届けられた記録もある。
 人の出入りで賑わい,江戸との交流で,新河岸の文化程度は高く,「新河岸に行くなら紅つけてお行き」と言われたそうである。実家の蔵にも錦絵が大量に収集され,有名な江戸人形絵師・原 舟月作の雛人形等もあって,当時の問屋の繁栄を偲ぶことができる。
 私の父は舟問屋「炭家」の13代目で,母も同じ新河岸の舟問屋「伊勢安」の血を引く娘であったが,結婚した大正末期にはすでに舟運も衰退し始め,日本橋にあった支店も閉鎖された。さらに家が火災に遭い,他の舟問屋と同様,職種替えを余儀なくされていた。薬剤師の免許を持っていた父は「スミヤ遠藤薬局」を開設し,舟問屋「炭屋」は終焉した。東上線「新河岸」の駅名は当時の問屋衆の強い要望で付けられたそうである。今は亡き父母から伝え聞いた数々の新河岸舟運のはなしを懐かしく思い出し,新河岸川の歴史に興味と関心の尽きない現在である。
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