「竹の子医者」の日々 その4
星 康夫(東京都世田谷区)
○本当の春はまだ遠く○……『「竹の子医者」の日々−その3』で最後に書きました東日本大震災,その後も被害は拡大しています。原発事故。冷却用の海水注入,真水の注入,と後手後手に回る対策に,残るは「ラブ注入か?」等と皮肉も書きましたが,事態は更に悪化,ガラスの様に固化する液の注入,障壁の鋼鉄板の挿入,放射線を吸収するゼオライトの注入。しかしまだまだ治まる気配は見えません。この原稿が製本される頃にはもう少し落ち着いているのでしょうか。否。仙台では桜の開花が報じられましたが,余震は毎日続いています。原発事故はとうとうチェルノブイリの事故と同じ「レベル7」となりました。まだまだ収束の気配はありません。桜の花は咲いても,本当の春はまだ来ません。
○春を待つ人々○……今回の津浪で壊滅的な被害を受けた宮城県の南三陸町(私の小学生時代は「志津川町」)は,私が小学校時代を過ごした佐沼町(現登米市)の隣町です。新聞にも「伊里前」「歌津」と懐かしい住所が沢山出てきます。南三陸町は51年前のチリ沖津浪でも大被害を受けた町ですので,大防波堤を造り防禦は完全と思えたのですが。その町の人々の1000人余りが登米市に避難して来ているとのこと。しかしこれでも希望者が多く全員の受け入れは無理だったとのことでした。それでも,避難した人々にとっては隣近所の人達と一緒に過ごすのは何よりの事です。避難されている皆さん,どうかこの町でゆっくりと過ごし,英気を養って貴方がたの町に戻り,再びあの海産物の豊かな美しい町を復興してください。
それから,子供達も日本中あちこちに分散して生活しています。小さな体で精一杯我慢しています。その顔に小さな笑みが見られる様になりました。「みんな,色々と大変だけれど,きっと楽しい生活が戻ってくるからね。一緒に頑張っていきましょう」と書きながらも,「頑張れ,頑張れと言うが,もう十分に頑張っている子供達よ,よし!一休みしよう。そしてそれからゆっくりと活動を開始しよう」と言ってあげたい。
○春を呼ぶ人々○……高校同期の商社マンOBの友人は,イスラエルと深いつながりを持っています。仕事の関係で震災当日は仙台に行っており,その後山形経由で帰京。数日後にはイスラエルから救援機2機で来日した約50名の医療スタッフと一緒に被害の大きかった南三陸町に入り,現地と医療団との協議のお世話をしたとの事。その時イスラエル医療団が運んできたプレハブの建物,レントゲンの機器等の器材は,帰国時に無償で供与され,公立病院の臨時診療所で使用されているとの事です。その行動力には驚きと敬意を感じます。しかし現地の自治体,厚労省との見解の違いによる感情の齟齬には,友人もいささか悩まされた様です。医療行政等の違いでしょうがなかったのでしょうが,折角来て下さった方が多少でも不満を持って帰国されたとすれば,申し訳ないし,また残念です。
○春を遅らせる人々○……それにしても対処が遅すぎます。テレビで「想定外」という事は決して免罪符ではないといってました。本当にその通りだと思います。今日この日本の最悪の時に私達は最悪のトップをいただいている思いがします。野党時代の菅さんは迫力がありました。しかし首相になった時に,私は「やはり野に置け…」にならなければいいがと案じていたのでしたが,自分の思う様にならないと周囲に当たり散らし「イラ管」の本領発揮だと。それに,政治主導と言って得意でもない方面に要らん指示を続々と出している様ですが,日本の優秀な官僚機構を使いこなせないのは,日本にとって大変な不幸です。ここまで来ますと「イラ管」でなく「イラン(要らん)菅」と言いたくもなってしまいます。(5月6日に報じられた浜岡原発の全面停止は,唐突な発表とか見切り発車とか非難されていますが,私は「震災後の菅首相の指示の中で唯一のすばらしい決断だ」と思います。)
それにまた……。5月12日,昨日で震災2ヶ月という日,福島原発1号炉は水が漏れて空っぽに近く,燃料棒は溶融(メルトダウン)し底に溜まっている様だと判明。安定化が一番進んでいると思われた3号炉は汚染水がコンクリートの割れ目から漏出と。――脳ミソの底が抜けているんじゃないのか?加えて5月24日,1,2,3,号炉はメルトダウンして,更に格納容器にも燃料棒が落下して「メルトスルー」の可能性があると。継続的に冷却する事でこれ以上の事態の悪化はないと思う,との事だが。――脳ミソの底が抜けただけでなく,本当は脳ミソは完全に溶け出して右耳から左耳に風が吹き抜けているんじゃないのか。……嬉しくないニュースばかりの毎日,腹立ちまぎれの文章になってしまいましたが,山菜のコゴミ,筍等が妻の郷里で出荷停止になったと聞き,山菜,筍が大好きの「竹の子医者」は本当に怒っているのです。
星 康夫(東京都世田谷区)
○本当の春はまだ遠く○……『「竹の子医者」の日々−その3』で最後に書きました東日本大震災,その後も被害は拡大しています。原発事故。冷却用の海水注入,真水の注入,と後手後手に回る対策に,残るは「ラブ注入か?」等と皮肉も書きましたが,事態は更に悪化,ガラスの様に固化する液の注入,障壁の鋼鉄板の挿入,放射線を吸収するゼオライトの注入。しかしまだまだ治まる気配は見えません。この原稿が製本される頃にはもう少し落ち着いているのでしょうか。否。仙台では桜の開花が報じられましたが,余震は毎日続いています。原発事故はとうとうチェルノブイリの事故と同じ「レベル7」となりました。まだまだ収束の気配はありません。桜の花は咲いても,本当の春はまだ来ません。
○春を待つ人々○……今回の津浪で壊滅的な被害を受けた宮城県の南三陸町(私の小学生時代は「志津川町」)は,私が小学校時代を過ごした佐沼町(現登米市)の隣町です。新聞にも「伊里前」「歌津」と懐かしい住所が沢山出てきます。南三陸町は51年前のチリ沖津浪でも大被害を受けた町ですので,大防波堤を造り防禦は完全と思えたのですが。その町の人々の1000人余りが登米市に避難して来ているとのこと。しかしこれでも希望者が多く全員の受け入れは無理だったとのことでした。それでも,避難した人々にとっては隣近所の人達と一緒に過ごすのは何よりの事です。避難されている皆さん,どうかこの町でゆっくりと過ごし,英気を養って貴方がたの町に戻り,再びあの海産物の豊かな美しい町を復興してください。
それから,子供達も日本中あちこちに分散して生活しています。小さな体で精一杯我慢しています。その顔に小さな笑みが見られる様になりました。「みんな,色々と大変だけれど,きっと楽しい生活が戻ってくるからね。一緒に頑張っていきましょう」と書きながらも,「頑張れ,頑張れと言うが,もう十分に頑張っている子供達よ,よし!一休みしよう。そしてそれからゆっくりと活動を開始しよう」と言ってあげたい。
○春を呼ぶ人々○……高校同期の商社マンOBの友人は,イスラエルと深いつながりを持っています。仕事の関係で震災当日は仙台に行っており,その後山形経由で帰京。数日後にはイスラエルから救援機2機で来日した約50名の医療スタッフと一緒に被害の大きかった南三陸町に入り,現地と医療団との協議のお世話をしたとの事。その時イスラエル医療団が運んできたプレハブの建物,レントゲンの機器等の器材は,帰国時に無償で供与され,公立病院の臨時診療所で使用されているとの事です。その行動力には驚きと敬意を感じます。しかし現地の自治体,厚労省との見解の違いによる感情の齟齬には,友人もいささか悩まされた様です。医療行政等の違いでしょうがなかったのでしょうが,折角来て下さった方が多少でも不満を持って帰国されたとすれば,申し訳ないし,また残念です。
○春を遅らせる人々○……それにしても対処が遅すぎます。テレビで「想定外」という事は決して免罪符ではないといってました。本当にその通りだと思います。今日この日本の最悪の時に私達は最悪のトップをいただいている思いがします。野党時代の菅さんは迫力がありました。しかし首相になった時に,私は「やはり野に置け…」にならなければいいがと案じていたのでしたが,自分の思う様にならないと周囲に当たり散らし「イラ管」の本領発揮だと。それに,政治主導と言って得意でもない方面に要らん指示を続々と出している様ですが,日本の優秀な官僚機構を使いこなせないのは,日本にとって大変な不幸です。ここまで来ますと「イラ管」でなく「イラン(要らん)菅」と言いたくもなってしまいます。(5月6日に報じられた浜岡原発の全面停止は,唐突な発表とか見切り発車とか非難されていますが,私は「震災後の菅首相の指示の中で唯一のすばらしい決断だ」と思います。)
それにまた……。5月12日,昨日で震災2ヶ月という日,福島原発1号炉は水が漏れて空っぽに近く,燃料棒は溶融(メルトダウン)し底に溜まっている様だと判明。安定化が一番進んでいると思われた3号炉は汚染水がコンクリートの割れ目から漏出と。――脳ミソの底が抜けているんじゃないのか?加えて5月24日,1,2,3,号炉はメルトダウンして,更に格納容器にも燃料棒が落下して「メルトスルー」の可能性があると。継続的に冷却する事でこれ以上の事態の悪化はないと思う,との事だが。――脳ミソの底が抜けただけでなく,本当は脳ミソは完全に溶け出して右耳から左耳に風が吹き抜けているんじゃないのか。……嬉しくないニュースばかりの毎日,腹立ちまぎれの文章になってしまいましたが,山菜のコゴミ,筍等が妻の郷里で出荷停止になったと聞き,山菜,筍が大好きの「竹の子医者」は本当に怒っているのです。
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