ベンチャ−ビジネスに関わって
福原 卓彦(岩手県一関市)
ここ十数年ベンチャービジネスに関わってきているために,私の70年の人生の中では,会社員の生活に次いで,一つの目的に集中して自分自身を没入させた,第二番目に長い歴史を刻んだ人生経験になっている。
長年勤めた企業退職後の環境変化に,さほど大きな齟齬を感じることなく,スムーズにそれなりに我が身を対処しきれた,との思いは確かにある。しかし出来上がっている企業の中から見る社会と,完全に出来上がっていない企業の外から見る社会とでは,大きく違って,何かと迷いもあったことは否めない。
ベンチャー(起業者,立案者)の構想具体性,実現可能性,実際のビジネスとしての見通しは,最初は良いことづくめで公表・発表されるが,実際に動き出してみると,ないないづくしというのが大方のパターンである。
それは時にはパートナー探しだったり,時には販売先探しや銀行とのコネ探しだったりする。私自身起業者側に立って,可能な限り,フルに動いてきた積もりだが,何といっても資金調達の難しさが大きな壁となり,その時その時で苦労の度合いも異なっていた。私なりに色々手を尽くし,場合によっては海外にまで足を延ばし,これまで10社ほどに資金協力を続けながら,未来へのどでかい夢を追いつつ今日までやってきた。
ひと肌もふた肌も脱いで,我がことのように真剣に応援してきた積もりだったが,それぞれにいろいろな経過をたどり,もはや軒並み力尽きて,ある者は夜逃げ同然に,またある者は事業清算報告書を送りつけただけで,何の挨拶もなく消え去ってしまった者もある。確かに,このところの世界的な金融問題や,大衆の購買意欲の減退や,海外を含めた安値攻勢,そして何よりも幾たびかの業界再編に伴う,締め付けの厳しさもあって,新規事業設立の環境は,殊の外厳しくなっていったことは確かだろう。
しかしながら,振り返って見ると,取り巻く環境の厳しさはその通りかもしれないが,失敗に終わった問題はもっと別なところにあるように思えてならない。もちろん,それぞれの事業や起業者ごとに失敗の直接的原因はあるのだが,共通して言えることは,“起業者のわがままが強すぎるにも拘らず,結局は他人依存が強い”ことにあると言って過言でない。いずれも撤退に近い段階になっても,そのことを伏せて,最後まで援助を当てにしているベンチャーが多かったと言える。
一時期のベンチャーブーム隆盛のころは,ちょっとした独自の発想に対して,周囲が強力に事業化を勧め,場合により資金も提供するといった事例が多く,起業もしやすかったことはあったようだ。その後は,特定の大口資金提供者は激減,広く小口の資金提供者を募る形をとるようになったが,こうなると起業者のわがままは通りにくくなる。一方,自分の力だけで,とにかく基盤だけでも立ち上げようとする,強い気力の持ち主たる起業家も少なくなってしまい,資金面でも,営業面でも他人依存が強まって,もともと纏まりの弱い経営チームを窮地に追いやってしまっている。
独自の発想を追求し,緻密に検討を重ねて頑張ろうとするベンチャーは少なくなったし,これを育て上げようとするベンチャーキャピタルも,なかなか手を出したがらない。こうした難しい情勢下では,大企業の社内ベンチャーならまだしも,正に一攫千金を目論んでいる一匹狼たる個人ベンチャーは,完全に氷河期に入ったと見てもいいだろう。
バラ色の将来像を密かに描きながら,思う存分動きまわったこの十数年は,これまでの自分史の中でも,社会の多方面と関わりながら,ひたすら前向きに対処して,無為に過ごすという時間はなく,緊張が持続して意味のある期間でもあったと思う。
ベンチャー育成のために,営々と蓄積した生活資金を,殆どつぎ込んでしまって,これからの余生にどう対処すべきか,大いに迷うところだが,この度の東日本大震災はこの迷いを,これまでとはまったく違う価値観でふっ切らせてくれた。
被災地の人々と同じく,0からスタートする,新しい自分史を展開させていくのだと思えば,それなりにまた面白い展望も開けるものと確信している。
福原 卓彦(岩手県一関市)
ここ十数年ベンチャービジネスに関わってきているために,私の70年の人生の中では,会社員の生活に次いで,一つの目的に集中して自分自身を没入させた,第二番目に長い歴史を刻んだ人生経験になっている。
長年勤めた企業退職後の環境変化に,さほど大きな齟齬を感じることなく,スムーズにそれなりに我が身を対処しきれた,との思いは確かにある。しかし出来上がっている企業の中から見る社会と,完全に出来上がっていない企業の外から見る社会とでは,大きく違って,何かと迷いもあったことは否めない。
ベンチャー(起業者,立案者)の構想具体性,実現可能性,実際のビジネスとしての見通しは,最初は良いことづくめで公表・発表されるが,実際に動き出してみると,ないないづくしというのが大方のパターンである。
それは時にはパートナー探しだったり,時には販売先探しや銀行とのコネ探しだったりする。私自身起業者側に立って,可能な限り,フルに動いてきた積もりだが,何といっても資金調達の難しさが大きな壁となり,その時その時で苦労の度合いも異なっていた。私なりに色々手を尽くし,場合によっては海外にまで足を延ばし,これまで10社ほどに資金協力を続けながら,未来へのどでかい夢を追いつつ今日までやってきた。
ひと肌もふた肌も脱いで,我がことのように真剣に応援してきた積もりだったが,それぞれにいろいろな経過をたどり,もはや軒並み力尽きて,ある者は夜逃げ同然に,またある者は事業清算報告書を送りつけただけで,何の挨拶もなく消え去ってしまった者もある。確かに,このところの世界的な金融問題や,大衆の購買意欲の減退や,海外を含めた安値攻勢,そして何よりも幾たびかの業界再編に伴う,締め付けの厳しさもあって,新規事業設立の環境は,殊の外厳しくなっていったことは確かだろう。
しかしながら,振り返って見ると,取り巻く環境の厳しさはその通りかもしれないが,失敗に終わった問題はもっと別なところにあるように思えてならない。もちろん,それぞれの事業や起業者ごとに失敗の直接的原因はあるのだが,共通して言えることは,“起業者のわがままが強すぎるにも拘らず,結局は他人依存が強い”ことにあると言って過言でない。いずれも撤退に近い段階になっても,そのことを伏せて,最後まで援助を当てにしているベンチャーが多かったと言える。
一時期のベンチャーブーム隆盛のころは,ちょっとした独自の発想に対して,周囲が強力に事業化を勧め,場合により資金も提供するといった事例が多く,起業もしやすかったことはあったようだ。その後は,特定の大口資金提供者は激減,広く小口の資金提供者を募る形をとるようになったが,こうなると起業者のわがままは通りにくくなる。一方,自分の力だけで,とにかく基盤だけでも立ち上げようとする,強い気力の持ち主たる起業家も少なくなってしまい,資金面でも,営業面でも他人依存が強まって,もともと纏まりの弱い経営チームを窮地に追いやってしまっている。
独自の発想を追求し,緻密に検討を重ねて頑張ろうとするベンチャーは少なくなったし,これを育て上げようとするベンチャーキャピタルも,なかなか手を出したがらない。こうした難しい情勢下では,大企業の社内ベンチャーならまだしも,正に一攫千金を目論んでいる一匹狼たる個人ベンチャーは,完全に氷河期に入ったと見てもいいだろう。
バラ色の将来像を密かに描きながら,思う存分動きまわったこの十数年は,これまでの自分史の中でも,社会の多方面と関わりながら,ひたすら前向きに対処して,無為に過ごすという時間はなく,緊張が持続して意味のある期間でもあったと思う。
ベンチャー育成のために,営々と蓄積した生活資金を,殆どつぎ込んでしまって,これからの余生にどう対処すべきか,大いに迷うところだが,この度の東日本大震災はこの迷いを,これまでとはまったく違う価値観でふっ切らせてくれた。
被災地の人々と同じく,0からスタートする,新しい自分史を展開させていくのだと思えば,それなりにまた面白い展望も開けるものと確信している。
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